■ 第52回 京都大会によせて | |
平成十八年夏の全国大会は第五十二回を迎え、開催地は京都府の南部、八幡文化センターを会場に、八月三〜五日の三日間、例年どおり十一校が出場する。併せて、各分科会ごとの学習、生徒講評委員会の活動など、演劇を通じて学び合う機会も同様である。今年は、全国高等学校文化連盟(高文連)の総合文化祭としては第三十回という記念となる年でもあり、地元京都の熱い想いが実を結んでの各部門の活動も各地で開催される。 さて、演劇部門の開催場所である八幡の地は、有名な石清水八幡宮の見下ろす男山を背景に桂川・宇治川・木津川の流れが交じわる古来からの交通の要所でもある。かの仁和寺のある法師が八幡宮にお参りに来て、ふもとの高良神社をそれと勘違いして帰ってしまったという徒然草第五十二段の話もよく知られている。また、松花堂弁当の発祥の地で、史跡の庭園や美術館もあるようである。木津川にかかる流れ橋は日本最長級の木橋で、ロケにも利用される名橋といわれている。 というわけで、毎年の開催地はそれぞれの歴史と文化をもった特色があり、演劇という文化活動の交流の場として、全国よりの多数のご参加の方々と共にそれこそ暑い日を過ごしたいと思う。出場の十一校の健闘と合わせて強く願うものである。 次に、全国事務局としては昨年ご報告のとおり、櫻井事務局長を中心に、業務の継続性を大切にしながら推移してきておるところであるが、ご迷惑やご心配をかけている面もあるのかと精意努力中という次第である。 なお、各都道府県やブロックの事務局、理事等の方々の交代も最近はやや多いようで、業務の円滑な引き継ぎにはぜひご留意をお願いするものである。名簿の内容も極力新しいものとなるように努めておるのでご連絡を早めに。ブロック大会の開催にかかわる事務的な面についても従来どおりの慣習がそのままつながっていくことが基本なのでその点も宜しくお願いしたい。 全国大会の出場校一校増はすでに決まり高文連の開催規程にもそのように明記され、次の島根大会より実現という運びとなっている。一校増のローテーションについては八月の理事会で決められる予定である。 |
優秀校東京公演については、経費・運営の両面からの見直しの必要に迫まられているが、本年八月末の第十七回は例年どおりの開催を予定して進んでいる。他部門の参加等の要望もあり、若干加味したことも検討されている。 劇団四季の「自由劇場」を利用しての全国高校演劇フェステバルも昨年と同じく有志実行委員会による形で、ブロック推薦の六校参加で三月末に実施された。二年目ということで観客も倍増し、ワークショップも含めて意義のあるものであったと思っている。三月末の日程ということもあり、運営面も容易ではないが、一部の人たちに負担をかけることにならないようさらに配慮して、全国組織としての実施が望ましい。そうなれば高文連からの後援・予算援助の規程もあるのでより実施し易くなるはずである。将来的には、東京でのみならず、各地でもそのような発表の場がさらに拡大できればよいことであろう。実施にあたっての業務分担は必要だが、何よりも生徒たちの発表の場を設けてあげることが第一の目的であり、そのためには同じ思いで力を結集して前に進むことがまず求められよう。 韓国との高校演劇の交流については、昨年の青森大会の折に韓国の事務局長が来日しての話から今に至っており、日本からも参加できればというところまで来ている。韓国の高校演劇をいつどこで迎えるかという具体的なことが当面の課題である。高文連としてもすでに韓国との文化交流も行なっており、それとの関連を深めることも今後の課題であろう。この海外との交流も総論は賛成であっても、実際の具体化となるとクリアすべき課題も出てくるのは当然であり、そこをどう乗り越えるかはやはり組織の結集力にかかってくるのではなかろうか。 ともあれ、京都大会、お世話ご準備の方々に深く感謝を申し上げ、皆様とともによい大会となることを願っている。そして未来に向けての更なる発展を心より期待をするところである。 永嶋 達夫 (全国高等学校演劇協議会会長) |
■ ようこそ 京都府大会へ | |
咲き誇れ 京ここから 翔びたとう 未来へ向かって 第30回全国高校総合文化祭 第三十回全国高等学校総合文化祭は、八月二日から六日までの五日間、「京都」部門や「盲・聾・養護学校」部門を含めた二十部門に分かれ、海外を始め全国から集まった高校生が、京都府内九市一町の各会場において、日頃の文化活動の成果を発表することになっています。 京都府大会の愛称は「京都総文」で、テーマは「咲き誇れ 京ここから 翔び立とう 未来に向かって」です。全国の高校生たちが、この文化祭を通して青春を謳歌し、若さあふれる新しい文化を京から全国に向けて創造、発信していきたいという願いを込めたものです。文化と歴史の薫りが高い京都府にふさわしいテーマであると思っています。 今大会(京都総文)に参加する生徒は、府内・外及び海外を総合すると延べ二万五千八十八人となり、過去最高の規模となっています。大いに盛り上がった文化の祭典となることを期待しているところです。 また、京都総文の特徴は、早くから生徒が主体となった企画委員を立ち上げ、「総合開会式」や「広報活動」をプロデュースするとともに、各部門生徒との連携を図りながら、「京都総文」全体の企画を行っていることです。その熱意が各高校に波及して、各部門の運営を支える文化部員の他に、一般生徒の運営ボランティアを含めると、約二万五百人になり、府内高校生の「一人一役」の意識が浸透しているように思います。 八月二日の総合開会式は、毎年、各種の国際会議が行われている、国立京都国際会館で開催いたします。内容は式典と交流発表の二部編成と、休憩時間を利用した、呈茶、ロビーコンサート及び特別展示の関連行事から構成されています。第一部では、高校生の金剛流の仕舞によるプロローグに始まり、全国から集う高校生にスポットをあて、端正で躍動感あふれる京都にふさわしい式典が展開されます。また、第二部では、地元京都府の各部門代表と海外からの中華人民共和国・大韓民国・スコットランドの四校及び青森県立田子高等学校、島根県立大社高等学校佐田分校の交流で開会式を盛り上げます。いずれも生徒企画委員会が企画した内容が随所に生かされています。どうぞ御期待ください。 さて、演劇部門は八月三日から五日までの三日間、八幡市で開催します。会場地の八幡市は、大阪府と京都市の中程に位置し、人口約七万五千人の府南部の中核都市です。 会場の近くにある石清水八幡宮の「八幡神」は、大分県の宇佐八幡宮から、西暦九世紀半ばに現在地に移ってきています。源頼朝の四代前の「源義家」が七歳で元服しておりますし、後に鎌倉に鶴岡八幡宮が建立されて「武の神様」として鎌倉幕府を支えたとの歴史があるように、八幡宮は鎌倉との縁が深いところです。また、発明王「エジソン」が、電球のフィラメントに最適な素材として、社のもうそう竹を使用したことでも有名です。さらに、「淀城」も会場の近隣にあり、現在も一部保存され、当時の栄華の面影を残しています。これらの文化史跡は、八幡市の歴史の一部であり、京都市の文化とは別に、古い歴史と文化の薫りが色濃く残っている所が、ここ、八幡市であります。是非この機会に会場近辺を散策されることをお奨めいたします。 |
高校演劇は、舞台芸術の中で、演ずる出演者だけでなく、劇そのものをプロデュースする脚本づくり、舞台を盛り上げる大小の小道具、雰囲気を作る音響やナレーション等、舞台で繰り広げる文化活動に必要な要素が全て含まれていて、いわば、舞台芸術を総合した部門であると思っています。 また、演劇の魅力は、脚本を元に脚色されたストーリーや人物像に、それぞれの出演者が役にはまりこみ、虚像と実像が融合した時、観ている者にとって心打たれる瞬間ができあがることにあるように思えます。そこに醸し出される雰囲気が感動となって、演者と観客が共有・共感した時間となって、会場全体に一体感が生まれるように思います。その時間の流れが、演劇の醍醐味ではないでしょうか。 目を転じて、現在の高校生の国語力の状況は、全国的な傾向として、文章を読む力だけでなく書く力や表現する能力が乏しく、言葉や文章を使った自己表現能力が身に付いていないのではないかと危惧されています。 このように、言語に対する総合的な力が乏しくなっている高校生の現状をみたとき、脚本の構想を練り、それを作り上げ、さらに言葉と身体で物語を表現する演劇は、現代の高校生に欠けている国語及び全般的な表現力を身につけるための絶好の文化活動であると思います。 全国総合文化祭が平成十六年五月二十五日に京都府で開催することが決定されて以来、この日のために京都府の高校演劇関係者は、日常の学校勤務を果たしながら準備を進めて参りました。各加盟の顧問の先生方は、高校演劇の全国規模の大会の運営を経験したことがなく、そのノウハウを持ち合わせておりません。その上、御存じのように南北に長い地理的な特徴があります。全ての顧問が一同に介して準備にあたる機会が多いとはいえない環境の中で、それぞれの役割に沿って、加盟する府下三十二高校の顧問全員が一体となって諸準備にあたって参りました。 昨年度の青森大会のように、きめ細かい運営とおもてなしができるか不安でありますが、ボランティアの一般教職員と一体となって、成功へ向け取り組みますので、不慣れな点はお許しいただき、精一杯温かい心でお迎えいたしますので、なにとぞよろしくお願いいたします。 今大会に出場する高校生のみなさんは、日頃の成果を充分に発揮され、素晴らしい舞台を創造してください。みなさんの溢れる思いと熱情が、大きな感動を生み、会場におられるみなさんに拡がり、いつまでも思いで深い記憶となって残っていくものと思います。 そして、そのような深い感動と経験が、なによりも、人との出会いの場として、本大会が活かされるとともに、高校演劇の新たな発展の機会となることを期待したいと思います。 結びにあたりまして、本大会開催にあたり、地元八幡市を始め各方面及び演劇関係者の多大な御支援・御協力を賜りましたことを深く感謝申し上げ、御礼と歓迎の言葉といたします。 (第52回全国高等学校演劇大会会長 京都府高等学校文化芸術連盟 京都府立城南高等学校長) |
■ 暑い京都で 熱い大会を | |
全国大会、京都府の顧問にとってそれはとても遠い存在でした。全国高等学校演劇協議会に加盟したのも、ほんの二十数年前のことです。 しかし、京都における高校演劇の歴史は古く京都高等学校演劇協会が、第二次世界大戦敗戦後すぐ設立され、多くの著名な演劇人もその中から生まれたと聞いています。 私も一応高校時代演劇部にほんの少し籍を置いたものですが、こんなに長く、またこのような形で関わるとは思ってもみませんでした。 振り返ってみると、新任の学校で演劇部のおもしろさに触れたものの、二校目で演劇部の顧問は楽? なのでその利権は簡単には譲れないと言われ、二年間吹奏楽部の顧問の時期を送ったことで、モチベーションに火をつけてもらったように思います。 この二年間のうさばらし?に文化庁主催の演劇指導者講習会というものに参加しました。そこでは、すごい先生達ばかりの集団の片隅で、桐朋の永曽先生の「歩く」講義や、青年座の若い劇団員の方を演出させてもらうというような講座を体験させていただきました。なかでも、夜な夜な下北沢や紀伊国屋へ行って、「最近東京で流行っている」と聞く「夢の遊民社」「第三舞台」を実際に観た時の感動は今もわすれません。舞台の上の芝居にも惹かれたのは無論ですが、客席が本当に芝居とともに振動しているような一体感は、その後味わうチャンスがありません。 それからウン十年、京都からほとんど出ることもなく、全国大会など雲の上のもので、しかも例年八月十日前後に支部大会があるとあっては、京都の顧問としては衛星放送の録画を見るのが精一杯というところでした。 その日々から目覚めて? 走り出したきっかけは「二〇〇六年に全国大会が来るぞ〜」という一声です。私などが慌てて見に行き始めたのが福井(他の熱心な先生はもっと早くから)です。その間、生徒講評委員会の勉強のために、中部日本大会へ、台風の徳島、何かすごく遠くにある気がしていた(今や親戚のような気さえする)八戸へ、と視察に行きました。全国大会のすばらしい上演に圧倒される一方で、どこへ行ってもここにもがんばっておられる先生がいる、こんなに親切にしてもらってもいいのだろうかという体験の連続でした。京都以外の人達はどんな生き方をしておられるのだろう、というようなことを肌で感じることは難しい平凡な毎日ですが、それを実感できたのは、私にとって得難い体験でした。 |
また、同時に京都の底力を感じさせてもらったここ数年でもあります。 全国大会を迎えるというのは、本当に多種多様な仕事の集合です。 名刺を作っていただいた先生、お弁当を値切ってもらった先生、新幹線のホームを走っていただいた先生…舞台裏はもちろんのこと、本当に多くの顧問の先生方の奮闘は涙ぐましいものでした。 また、普段からホームグラウンドである劇場から離れ新たにお世話になることになった八幡市文化センター、また、総合開会式のダンスの披露の場を提供していただいた京都府立文化芸術会館、困った時に相談に乗っていただいた京都労演、群読やダンスでお世話になったプロの先生方、京都の演劇界の懐の深さを痛感する日々でもありました。 そして、とうとう今年の夏、主役はやはり生徒達です。生徒とともに全国大会に取り組み始めたのは去年からです。スタッフとして主役に、道案内も京都の代表として、みんなで主役になろう、京都の生徒達に私達は事ある毎に呼びかけてきました。それに生徒達も本当によく応えてくれました。ちなみに総合開会式や交流会にも今回は連盟加盟部員の約九割百四十人が参加することになりました。 京都の夏を楽しみにおいでいただくお客様も多いと聞いていますが、京都の夏は本当に暑い! その中で彼らの熱さが全国大会を支えてくれるものと思います。舞台の上のすばらしい上演と共に、京都の暑さの中での京都の生徒達の熱気をぜひ観にいらしてください。 栗田みさ子 (第52回全国高等学校演劇大会 京都府高等学校演劇連盟委員長) |