都道府県だより
山梨県

山梨の高校演劇

中 村  勉

《山梨の高校演劇》

山梨県高等学校演劇連盟の発足は昭和二十四年、全国でも古手の方ではないでしょうか。昭和五十三年に関東高等学校演劇協議会に所属し、関東高等学校演劇研究大会に初めて参加したのは昭和五十四年、以来関東ブロックで加盟校数最小のまま大家族の末っ子のように兄貴たちの後にひっついているのが山梨県です。平成二十一年度の加盟校数が二十校。長らく全国最少を競っていましたが、ここ十年増減がほとんどないので下から何番目かに繰り上がってきました。

 昭和五十九年に初めて関東大会を開催、平成二年には全国大会を開催しました。開催県枠で山梨英和高校『ディア・マイ・シスター』が出場。その後しばらく全国大会には届かず、平成十五年福井大会身延高校『モンタージュ〜はじまりの記憶』を待つことになります。その後平成十八年京都大会で甲府昭和高校『全校ワックス』が優秀賞と演出賞、十九年春季全国大会で甲府昭和高校『靴下スケート』を上演、二十二年度宮崎大会では甲府昭和高校が『放課後の旅その他の旅』で出場します。

 関東大会では平成六年の甲府第一高校が優秀賞を県勢で初めて受賞、その後この十年間で優秀賞入賞が五回、最優秀賞が一回、二年に一回は入賞なので大健闘です。弱小の山梨県も列強に肩を並べるまでは行かずとも、周回遅れはなんとか脱したというところでしょうか。

 特筆すべきは創作脚本賞で、大会に一本ずつのこの賞を平成十一年の関東大会から二十一年まで十一年間で六回の受賞です。これはもう創作大国といってよい、というのはおおげさですがちょっとしたものだと思います。二十一年度の県大会では六校中五校が創作脚本、二〇年度も五校が創作脚本でした。

 《県大会・地区大会》

 山梨県の県大会は一日、上述の通り六校が上演します。ただ地区大会が変わっています。他県のように地区割りが決まっていません。山梨県は小さい県で、車で一時間も走れば通り抜けてしまいます。人口もちょうど真ん中にある甲府市に集中しています。そこで地区大会の前に参加校が一堂に会し一斉にくじを引き、A会場B会場に分かれます。同じ高校が去年はA会場、今年はB会場という感じです。くじですので昨年の県大会出場がすべてA会場に集合、ということもあります。

 山梨にも劇場はあるのか、と先日他県の先生に大まじめに訊かれましたが、あります。立派なのが。地区大会の二会場は双葉ふれあい文化館と山梨市民会館です。キャパは500、明かりは固定でリハーサルは三十分ですが、立派な劇場で上演できることで次第に水準が上がってきていると思います。

 「県大会以上はおまけの大会」望めばすべての高校が上演できる地区大会こそが高校演劇であると先輩顧問から教わってきました。地区大会の整備こそがそれぞれの都道府県に託された最大の任務であると思います。前全国事務局長の櫻井先生は「大会を『勝ち抜く』とは何の謂ぞ」とおっしゃいました。「選ばれた」のであって、「勝った」わけでも「制覇した」わけでもありません。上の大会に行けば行くほどうれしいわけですが、それはよい観客に観てもらう機会が増えるからであります。

 地区大会こそきちんとしたい。山梨開催の関東大会は本当に質素というより簡素な大会になりますが、地区大会はこの先もっと観客も入れたい、もっとリハ時間も取りたいと考えています。

《県民文化ホール》

どうしたわけか、照明などは結構凝った舞台を作っても、山梨の大会ではどの高校もみなパネルを建てません。パネル文化がない。ホリゾント幕もあまり使わず、ある年の県大会は六校すべてパネルなし、バックはすべて黒幕でした。

 われらがホームグラウンド、山梨県民文化ホールは山梨での全国大会はむろん、関東大会のすべて、県大会のほとんどをここで開催しています。客席数は七〇〇、袖が広く使いやすいホールです。なによりうれしいことにこのホールでは、毎年高校生のために舞台技術講習会を開いてくれます。夏休みに三日間ホールを提供してホールスタッフの講師で照明、音響、舞台についてレクチャーがあります。県大会を開催する劇場での講習会に参加し、山梨の高校演劇部員は秋にここで上演することを目指します。

新宿から中央線で一時間半(特急ですが)、山梨の大会にもぜひお越しください。

(山梨県高等学校文化連盟 
    演劇専門部委員長)

兵庫県

兵庫県高等学校
 演劇研究会より

福田 成樹

 兵庫県高等学校演劇研究会(高演研)の全県での行事は、中央合同発表会(県大会)のみですが、県下各地区の支部ではそれぞれ盛んに行事を行っており、それが下支えとなって県大会も高いレベルを維持しています。

 そうした高演研の活動を、一年の時期を追ってご紹介します。

 【春】

 今年、特に兵庫県では一学期に新型インフルエンザが各校を揺るがしました。多く五〜六月に行われる文化祭でも不完全燃焼という学校は多くあったことでしょう。そしてそれは、秋のコンクールシーズンまで尾を引くことになるのです。

 【夏】

 全国的には高校演劇の夏はもちろん全国大会なのですが、兵庫県では、各支部が中心となってワークショップが行われます。

 阪神地区(兵庫県のいちばん大阪側)では、「平成演劇教育委員会」と銘打って、演技演出講座、二分間のシーンを連続的に演じ、審査員役の顧問が面白かったかどうかを次々に採点していきます。二分間の意外な名作続々。

 神戸では、「GO! GO! ハイスクールプロジェクト」。地元の若手劇団をナビゲーターに、ワークショップ・エチュードから作品を仕上げていく合同公演です。プロの裏方に支えられての公演は興奮の二時間だったようです。

 他の地区でもさまざまにワークショップが行われました。

 兵庫県の〇九年夏には、もちろんもう一つ大きな話題が。県立加古川東高校が、近畿ブロック代表として三重での全国大会に出場したのです。めでたい。しかし三重も、高校生にとっては近いとはいえず、県下部員大挙して観劇とならなかったのは残念ですが。

 【秋】

 そして怒涛の秋がやってきます。十月中旬から十一月初旬が各支部のコンクール、中旬に県大会。

 兵庫県でも、参加校減は深刻です。過去には百校に迫る勢いだった参加校も今年は県内で六十校強です。でもこれはきっと兵庫県だけの話ではなく、全国的にこのような状況があるのでしょう。

 しかしそんな中でも、各支部での出場校は元気です。完成度の高い作品、ハチャメチャだけどパワー炸裂の作品、上品さに消え入りそうな作品(それって「元気」なのか?)、さまざまな作品を持ち寄りました。この多様さが元気さの証拠です。

 その支部コンクールを経て、次は各支部から精鋭十五校が集う県大会です。

 今年はこの大会にもインフルエンザが影を落としました。晴れの出場校のうち一校が、前日になって部員のインフルエンザで出場を辞退。会場には消毒スプレーが置かれ、マスク姿の高校生たち。

 そしてこの大会、もう一つの難関は会場でした。毎年各地区持ち回りになる県大会会場、今年の会場は、諸事情から完全な音楽ホール。反響板に囲まれた天井と袖に仮設の一文字幕と袖幕を設置、狭い袖と小さな搬入口で最大一日六校の公演で、舞台裏は大騒ぎでした。熱意とパワーあふれる会館スタッフの皆さんと、運営・出場の生徒や先生方の活躍で何とか乗り切れました。

 兵庫県選出の二校が、近畿のブロック大会で強かったのも、この修羅場を乗り切ったからかもしれません。兵庫県の代表校のうち、神戸高校は、この後の近畿大会でも勝ちあがり、全国大会出場を勝ち取ることとなりました。

 【冬】

 三学期は、静かな季節。

 三年生を卒業式で送り出し、新たな仲間となる新入生を迎える入学試験があり、そんな中で、各校演劇部は、春休みの各行事に向けた取り組みを進めるのです。

 【そしてまた春】

 春休み、ここでも各支部多くの行事が催されます。

 春季発表会を催す支部、在校生卒業生顧問混成劇団による合同公演を行う支部、心弾む季節に公演を行いながら、卒業していった三年生が抜けても大丈夫、という思いを新たにし、新入生を迎える準備をします。

 そして春は、生徒だけでなく顧問にとっても別れの季節。

 ここのところ、高演研を支えてきた「団塊の世代」の先生方の定年退職が相次いでいます。

 この春も、高演研のために尽力して来られたあるベテランの先生が引退との情報が入り、急遽退職祝賀会の準備の動きに入りました。数日後、ご当人にご都合を伺ったところ、「え? 退職? 来年だよ。飲み会? おっけー、行く行く」と。あれ?

 また春がやってきて、続いていくのです。そのベテラン教員の現役生活だけでなく、生徒の表現活動も。そしてこれは、「来年まで」でなく、これからもずっとです。…そうあることを祈りたい。そうあるように精進します。

(兵庫県高等学校演劇研究会 
事務局長)

山口県

 山口県高演協の
  発足から今日まで

金森 健一

 山口県高等学校演劇協議会は1982年に加盟校20校で発足した。今年で29年目となる。発足のきっかけは山口県が1983年に全国総文を引き受けることになったからだ。もっとも下関地区では1954年から下関地区高等学校演劇連盟として毎年上演会(第1回は4校の参加、最多11校参加)を開いており、宇部地区でも1979年に宇部地区高等学校演劇協議会として第1回の発表会を実施していた。第1回の県大会は1982年、第20回中国高等学校演劇大会と兼ねる形で開催し、宇部地区と下関地区の2地区から選ばれた代表3校が出場した。うち1校は山口県代表として1983年に宇部で開かれた全国大会に出場した。こうして全国とのつながりを持った山口県の高校演劇は、1983年の第2回県大会で周防地区が加わり3地区の代表で中国大会出場を競う形となり、1984年の第4回大会には山防地区も参加して現在の4地区体制ができあがった。この後も加盟校数は徐々に増加し2001年に38校とピークを迎えた。しかしその後は少子化の影響を受けて一転、減少を続け2009年現在、加盟校数は26校となっている。2009年の地区大会上演校は24校であった。

 県大会へ各地区から推薦できるのは3校に1校、それに開催地区はプラス1校という規定で運営しているので、ここ数年県大会はリハーサルも入れて3日間、出場校数9校で実施している。また2001年には生徒審査員制度を創設した。生徒審査員は各地区で県大会に出場しない学校から2名選出してもらい合計8名で構成される。そして生徒交流会の最後に、生徒審査員全員による講評と最優秀校1校・最も印象に残ったキャスト1名を表彰する。記念品もありこれも生徒審査員が予算の範囲内で自分たちのセンスで購入したものである。ところで、生徒審査員が選出した学校と中国大会出場が決まった学校は必ずしも一致しない。16〜18歳の生徒たちの感性と平均年齢が50歳を越える審査員の感性の違いが感じられて面白い。

 さて、山口県の高校演劇の1年間は、夏休み中の4地区での地区大会からはじまる。その前後には県全体で演劇講習会を行い、演技・演出・照明等の技術習得の機会を持つ。一昨年と昨年の2年間は南河内万歳一座の内藤裕敬さんに来ていただき、基礎練習から内藤さん手作りの台本を手に演技・演出法のワークショップをしていただいた。本年度は照明や道具作りなどスタッフ対象のワークショップを計画している。そして10月末から11月始めにかけて4地区持ち回りで県大会を開催する。その代表が11月下旬の中国大会に出場することになる。3学期には地区それぞれで、合同公演や練習発表会等の地区行事を行っている。

 ところで、大会での上演時間や設置・撤去時間の規定だが、県大会は中国大会の規定に準じて行なっているが地区大会はその限りではない。とくに下関地区は山口県高演協発足の30年前から上演時間等も各校の独自性に任せた発表会を行なっており、その自主性を尊重するという経緯もあって現在でも1時間を越える上演を行なう学校もある。数年前にも1時間40分の大作の上演を行なった学校があった。もちろんそれらの学校も県大会への出場が決まった場合には基準に合わせて時間の短縮等を行なっている。

 最後に現在の問題だが、部活動の統廃合と部員数の減少、そして会場費の高騰である。生徒数減少と長い不況の中で、場所をとり、教室や体育館を汚し、「ガラクタ」と周りから見たら思われる道具をやたらに増やし、道具の運搬等で余分なお金を使う演劇部は、部員が減れば真っ先に統廃合の対象となることも多い。また学校全体の生徒数減少に対応するかのように演劇部に入る生徒も減って、部員が足りず上演できない学校も増えている。このような状況下、ここ7年で12の学校で演劇部がなくなってしまった。30パーセント以上の減少である。

 さらに、会場、施設設備使用料の値上げが相次ぎ、地区大会や県大会で会場費が払えないという問題が起こってきている。ここ数年、地区大会・県大会ともに赤字で、企業からの広告も減少し続け、現在は積立金を取り崩して何とかやりくりしている。しかしこのままでは公民館や学校の体育館での大会も検討しなければならなくなる。とはいえ、山口県の高校生の中には演劇が好きでたまらない生徒がいて、そんな彼らのためにも素敵な発表の場を確保し、多くの観客の方々に山口県の高校生の元気さを届けたいと思う。事務局としても県下の顧問の先生方と協力して山口県の高校演劇を支えて行きたい。

(山口県高等学校演劇協議会 

事務局長)

佐賀県

 明けない夜は、
 ないのだから

彌冨 公成

 「先生、佐賀県って演劇部の数が一番少ないんですか?」

 数年前のことだ。全国大会のプログラムの後ろの部分を読んでいた生徒の問いかけに、どきりとした覚えがある。それからというもの、「自虐ネタ」が大好きな私は、「どきり」とさせられる前にこのことを各所で話題にするようになった。他県の先生方からは「うちも似たようなものです。」とフォローを頂き、生徒たちは「ヤバいやん。」と一応の反応をみせる。そんなとき、私はいつもセンスのないキメ台詞で返すようにしていた。

 「人間、一度屈まないとジャンプできないからね。」

 だが佐賀の高校演劇はいつまでたっても屈んでばかりであった。ずっと「自虐ネタ」で乗り切ろうとしていた私も、この役職で歳を重ねるにつれ、その責任のホコ先を自分に向けなければならなくなってきた。しかし、試行錯誤もせぬまま危機感だけを募らせていた我々にも、スポットがあたるチャンスが訪れたのである。第51回九州高等学校演劇大会(佐賀大会)である。

 村井国夫先生、石山浩一郎先生、楢原俊昭先生を講師としてお招きし、恐らく全国最少人数のスタッフながらも、出場校の皆さんを温かく笑顔で迎えようという気持ちで運営にあたった。ところが、初対面にはめっぽう弱い佐賀の生徒実行委員たちは、リハーサル、大会一日目を終えてもなかなか笑顔で挨拶を交わせない。そこは半ば諦めていたが、受付をガラ空きにし、先生方が慌てて対応している最中にも弁当を食べながら読書やお喋りに没頭している生徒たちを見て、我慢ができなくなった。

 「規模が一番小さい佐賀での大会だから、他県より見劣りする部分もあるかもしれない。でも出場校にとってそんなことは関係ない。彼らにとって、今日と明日の想い出は、一生モンなんだよ。」

100人にも満たない集団だ。互いの名前を知り、悩みを打ち明け、生徒顧問関係なく、学校の垣根を越えて活動をしてきた集団。ひとつの台本に寄り集まって、励ましあいながら舞台を完成させたこともある、そんな仲間たちだ。そんな彼らを目の前にしたものだから、得意なはずの「自虐ネタ」が、最後は涙まじりになってしまった。

 大会二日目の朝、生徒たちは大きく口を開けて笑顔で挨拶を交わしていた。「こういう『おはようございます!』もアリだよな。」などとおどけてみせると、「それはできませんよ。」と最高の笑顔で返してくれた。きっとすばらしい一日になる、と確信していた。

 事故が発生したのは、最初の学校の上演が始まった直後、私が事務室にいた時であった。

 「看板が落下した。客席にいた生徒さんたちが怪我をされた。」

 報道陣に囲まれて絶句している生徒。流れる涙を拭きもせず走り回る先生。信じられない、信じたくない光景だった。何よりも怪我をされ、病院に運ばれた生徒さんたちの様子が心配であった。舞台に一番近い場所で上演を心待ちにしておられた生徒さんたちのことを思えば、胸が詰まってしまい、申し訳ない気持ちで一杯になった。

 気付けば、生徒実行委員たちが玄関口で並んで叫んでいた。

「申し訳ありませんでした。」

「またよろしくお願いします!」

 指示がなくては動けなかった生徒たちが、教えてもいない言葉を一生懸命に。

 大会二日目は、12月28日に延期となった。この小さな県にとっては大きすぎる試練だったかも知れない。しかし、「あの日と変わらぬ笑顔でもう一度お客さんを迎えよう」という生徒たちの想いが、しっかりと伝わってきた。

「だって、私たちにとってもこの想い出は一生モンじゃないですか。」

副顧問(大道具輸送係)として高校演劇にかかわりをもつようになってから8年。演劇の楽しさを教えてくれる生徒たちにひっぱられ、肩書きだけが立派に成長していった。「今年もまた」「来年こそは」とやみくもに時を過ごしていたが、この生徒たちにとっては、いつの日も「一生に一度」の時間だったんだな、と、当たり前のことに気付かされた。規模が小さい佐賀県だからこそ、彼らの「一生モン」と、より密接に向き合っていけるかもしれない。

 上演校の皆さんや各県理事の先生方、ほか多くの方々の支えもあって、佐賀大会は幕を閉じた。

 新しい年度が始まる。先は見えないが、私も仲間たちも差し込んでいる光に気付きはじめている。

 さて。そろそろ、ジャンプだぞ。

(佐賀県高等学校文化連盟
演劇専門部 事務局長)

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