審査員講評
震災という現実に向き合った高校演劇

西堂 行人

 高校演劇の魅力とは、全国津々浦々に広がる裾野に見合った表現の多様性にあるのではないか。それをローカリティ(地方性)と言い換えてもいい。

 地方にはその土地でなければ出来ない表現がある。地域や共同体を背負った表現は、狭くはあるが、深く掘り下げることが可能だ。現在の演劇界は東京など大都市集中がはなはだしく、表現の画一化が懸念されるが、高校演劇はそれとは逆の方向から表現を追求している。将来これは大きな武器になるだろう。地方の劇場を拠点とする演劇文化を高校演劇出身者が担うとしたら素晴らしいことになる。その芽は確実に存在する。

 今回の大会を振り返ると、これらの舞台が創られたのは、大半が昨年の夏以降である。ということは、2011年3月11日に起こった東日本大震災からわずか半年ほどで表現の形になったことになる。つまり3・11以後、初めて表現が問われた大会であることを銘記しておきたい。


 今大会で突出していたのは、青森中央高校の『もしイタ ~もし高校野球の女子マネージャーが青森の「イタコ《を呼んだら』と八千代高校の『日の丸水産 ~ヒミコ、日野家を語る~』である。いずれも顧問創作だが、演じる高校生に厳しい現実に向き合わせ、考えさせる素材を提供したという意味で、「高校演劇《という枠組みを見事に消化している。

 『日の丸~』は被災した高校の歴史研究部員の発表という形式で劇が展開される。日野光子ことヒミコの語りで始まる「日野家の歴史《は、語る場面につねに茶々を入れる観客を想定している。しかしその他者はすでにいなくなった先生や友達だということが最後に明かされる。1896年の明治三陸大津波に遭遇した15歳の少女の物語が、それを語る現在の高校生の体験に重なる時、生き残った者が決然と生きていくドラマに昇華された。

 演劇には「報告《という形式がある。過去の歴史を紐解くことが同時に現在に通じていくのだ。三陸津波によって家族を失った者の歴史は繰り返され、今度は東日本の震災につながった。漁師の娘が村を再興するために網元の娘に成り替わって生きていく決意が、観客の心を打った。  

 『もしイタ』は、人気小説『もしドラ』をもとに、弱小高校のエースに往年の吊投手・沢村栄治の霊がとり憑き、その剛腕で連戦連勝し、甲子園出場まであと一歩というところまで迫りながら、結局そのご利益を放棄し、大敗を喫するという苦い青春コメディだ。だがイタコという仕掛けはそれにとどまらない。主人公カズサは津波で被災した土地からの転校生であり、生き残ってしまった自分に後ろめたさを感じていた。だが、イタコが呼び出した昔の野球仲間は自分たちに代って野球をやってくれと彼の背中を強く押す。生き残った者たちには、無念のうちに死んでいった者への生きる「責任《がある。この使命感を切々と引き受ける生徒たちの潔さが際立った。

 この舞台の特徴は、何もない空間に役者の声と身体だけで勝負することだ。音響も舞台美術もいっさい使わない。すべてを失ってもなお演劇は可能なのだという演劇の原点を実践してみせた。作品の主題と方法が見事に合致していることを評価したい。高校演劇はここまで来たことを実感させるとともに、2012年はこの舞台で記憶されることだろう。

 優秀作になった他の2本も力作だった。大船高校の『新釈姥捨山』は、幕が上がった瞬間、圧倒的な物量のセットに息をのまされた。続いて河童たちの中から浮かび上がってくる菩薩の強く押し出される声と歌。深沢七郎の『楢山節考』が原作だが、原作にない河童をコロスに使ったことが秀逸である。70歳になって山へ行くことが慣習となっている貧しい村人が死と向き合う時、河童が姿を現す。河童は死と寄り添い、死を受け容れる象徴だ。高齢化社会のテーマに取り組む高校生たちにはいささか背伸びした題材ではあったが、太鼓などの生演奏、舞台美術の威力が総合的な力となって観客を魅了した。

 全国から選りすぐられた高校が集まる中でも、岐阜農林高校ほどユニークな表現形態を持っている舞台もない。日頃育てている動物や野菜の精などの登場はもとより、役者たちのしぐさにも独自のテイストが滲みこんでいる。このローカリティは表現にとって強力なアクセントになる。『 掌 ~あした卒業式~』は、生徒の中でもいつも遅刻し、問題を起こす明日香がキーパーソンだ。彼女は東北からの移住者で、最後にまた地元に帰還し、そこで被災する。彼女の安否を気遣う友人たちの思いが綴られる。ドラマ自体は類型的で必ずしも新鮮というわけではないが、ディテールの積み上げが徹底していて、それが説得力に転じていく。例えば、きゅうりを愛情こめて育てていくと、巻きひげが寄ってくるというエピソードには思わず心を衝かれる。身近な体験にこだわり、決して背伸びしない発想力が集団創造の基盤にあった。

 


 演劇には身近な素材を描く手づくりの良さも存在する。

 苫小牧南高校の『恐竜れたー』は定時制と全日制の間にある微妙な関係を「行きかう手紙《という設定で描き出した。両者間にある壁、劣等感や差別意識など扱いにくい素材に果敢に挑戦している。ただ結末は、お定まりの家族問題などに収斂してしまうのが惜しい。わたしが着目したのは、イマドキの高校生の男女の描き方である。カッコ悪い男の子をヤンキーな女の子たちがいじりながら支えるというパターンはよくある美男美女の恋愛とは一線を画す。定時制の女子たちのカラフルな出で立ちと、恐竜のマスクをかぶってしか日常と折り合いをつけられない転校生たくやの振舞い。この滑稽でいじましい関係こそ、現代の高校生の「映し《であり、今後の高校演劇の定番になるかもしれない。

 土佐高校の4人の女子による『化粧落し』もまた、高校生自身が等身大で登場する。舞台上に置かれた4色のペットボトル、衣裳も微妙に異なっていて、まさに4者4様。この密な関係から生み出される世界は、女子校ならではの閉鎖空間を形作る。が、表面的な関係の底にあるものを打ち破りたいという衝動が浮上する。その引金になるのは、一番危険な匂いを放つ綾である。「わたしが言わなかったら誰も言わないでしょ!《。ここから始まるドラマは息をつかせぬものがあった。劇中に使われた言葉にはドキッとさせられるものが少なくない。妊娠を連想させる言葉や「レズでもないくせに《というフレーズ。言葉が劇を強力に動かしていくモーターになっていた。事なかれ主義で安住しがちな日本社会の中で、それを切り裂く強い言葉が確認できた。

 作新学院高校の『It's a small world』は3人の女子高生の掛け合い漫才のような舞台だ。これも生徒創作だが、当意即妙なやり取りは、内容(ネタ)よりも、彼女ら自身の呼吸の妙を観客に届ける。階段状に設えられた装置が絶妙で、文字通り彼女らの小さな世界を暗示している。水面から浮き上がった氷山の一角のようでもあり、だとすれば、会話の底にはまだ語られなかった無数の言葉、エピソードが水面下に隠されているのだろう。そこはかとない彼女らの内面の世界が仄めかされているものの、関係の深みに入るより、表面をなぞった感は否めなかった。

 大谷高校の『はみーご!』。5人の女子高生が知恵を出し合い、各々の関係を探り、その上で解決策を見出していく生徒創作だ。「はみーご《という言葉には、はみ出しっ子たちが連帯して「アミーゴ《すなわち仲間になっていこうという逆転の発想が暗示されている。だが、この設定には少々無理があった。如雨露やギターなどを持つ異端者同志がた易く仲間になれるというのは現実離れしているからだ。大谷高校でいつも感心させられるのは、タイトルの造語のうまさだ。これはもはや演劇部の伝統というべきだろう。

 以上、ここでははからずも女子の世界が繊細に描き出されていた。


 最後に、以下の4校についてコメントしたい。

 富山中部高校の『我歴』は写真家の目から見た、過去―現在―未来が織り交じる野心作だ。この種の物語はストーリー展開を見せるより、役者の演技が担う部分が大きい。だが舞台が要求する演技に見合うだけの力量を生徒たちは獲得していなかった。例えば「間《が要求される演技が「間延び《に映し出されてしまうのだ。ある程度年齢が要求される芝居だった。

 佐土原高校の『あーさんと動物の話』は既成の作品を潤色したもので、もともと小劇場仕様の芝居を大きな空間に持ってくること自体、ハンディがあった。演劇青年が挫折して引きこもってしまった38歳、おそらく作者自身の分身である主人公に思いを重ねないと、なかなかうまくいかない作品だ。その意味では「私戯曲《的である。これを高校生が演じることは難しい。ただギター演奏や歌が盛り込まれ楽しいエンターテインメントになっており、大人のペーソスを感じさせる好感のもてる舞台だった。

 三刀屋高校の『ヤマタノオロチ外伝』は、堂々たる結構をもった芝居であり、スケールの大きい舞台だった。高校レベルでこれだけのセット、人物を配置できるのは稀有である。人間社会の「豊かさ《とは何か。科学の発達や経済発展は逆に人間を苦しめ、武器の開発が戦争を招くといった一種の寓意劇である。だが作家性が強く出すぎた結果、舞台はシンメトリックな構図の美学に収斂されてしまい、生徒たちのみずみずしい演技を引き出すことに結びつかなかった。

 最後に、法隆寺国際高校の『森のひと』について。この作品は審査員をもっとも悩ませた。3つの場面が唐突に並べられていて、そのつながりがどこまで意図したものか判断に苦しんだからだ。『モルグ街の殺人』や『草上の昼食』といった作者の高級な「趣味《も生徒がどこまで理解し演じていたのか。終盤に突然防護朊が登場し、あまりの直接的な表現に戸惑いを覚えたことも事実だ。だが、われわれがまだ到達できていない思考法を作者は探っているのではないかという期待を抱いた。人間の未来についての仮説は、まだ誰も回答を得ているわけではない永遠の課題だ。そうした方向にむかって自らの演劇を駆動させていく作者のチャレンジ精神には敬意を表したい。

 高校演劇は可能性の演劇だ。これからさらなる演劇への旅が続く。全国大会はその一過程にすぎない。この時点で何を獲得し、何が未解決なのか。それを見極めながら、今後も演劇という道具と付き合って欲しいと切に願う。

(演劇評論家        
近畿大学文芸学部教授)

特別な意味を持つ全国大会   

  村瀬 洪

 舞台美術講評

感動にたくさん出会いました

 土屋 茂昭

 3月11日を経験した後に作られた作品が初めて上演される全国大会だった。大半の作品に、津波・地震・原発事故・家族・人とのつながり・命の大切さなどが描かれているのは、演劇が社会の姿を反映するものである以上、当然の事である。高校生が真摯に現実に向かい演劇に今何が出来るか、何も出来ないのか、はたまた演劇などしてはいけない事なのか、を真剣に考え悩んだ末の成果を見る事が出来た事に特別な感慨を覚えた。その意味で過去の大会とは異なる特別な大会だったと言えよう。

 神奈川県立大船高校「新釈姥捨山《。深沢七郎の原作とは違った味わいの作品だった。特に民話から河童を借りてきてそれをコロスとして使い、彼等が山神であったという設定が見事だった。殺される一人一人に河童が付き添う場面や、捨てられた子供の死後に小さな河童が現れるあたりに演出の上手さが光った。惜しむらくは河童が物語を語る量がかなり多く、登場人物も感情的にセリフを述べ過ぎで、かえって観客の心に響かなかった気がする。

 富山県立富山中部高校「我歴《。人生の大切なひとコマを写し出す写真を軸に家族の絆、親から子へ、子から孫へと受け継がれていくものを描いた作品。瓦礫の中から拾い出された写真のように、各場面で時間を前後させながら提示していく形式が、透明感のある独特の舞台を作り出し素直な感動を与えてくれた。ただ芝居の完成度という意味では、特に演技やセリフの力に物足りない部分が多かった。

 宮崎県立佐土原高校「あーさんと動物の話《。唯一の既成作品だったが、既成のものを上演する難しさが目立った。長い原作をカットしたため、話の間隔が短く、回り舞台が煩わしく感じてしまった。また同じ広さの部屋と押入れにも工夫が必要だと思う。20年続く雨から自立していくあーさんの姿に、大洪水から子孫を残すべく脱出するノアの方舟が重なるのは、津波のイメージがそこにあるからであろう。あーさん役の歌と演技は爽やかで好感が持てた。分身の猫の設定とその演技も魅力的だった。

 北海道苫小牧南高校「恐竜れたー《。手紙という媒体で偶然に定時制と全日制の生徒が関わっていく設定は面白かった。定時制に通うたっくんが人とのつながりを得て自立していく話だが、定時制側の生徒に比べ全日制側は琴音以外の生徒がほとんど描かれていない。この状況で物語の進行に最も重要な 〝手紙の書き換え〟 という行為をさせるのは無理があった。さらに琴音が定時制に来て、長々と話し、その内容があまりにも上手く行き過ぎの終わり方で、リアリティーに乏しい感じがした。

 千葉県立八千代高校「日の丸水産《。被災地以外の学校が津波を描く場合、その距離感をどう保つかは最も重要な課題である。この作品は歴史研究部の発表という形で、震災以降話題にも上ることの多い明治三陸大津波の話にもっていったところが上手いと思う。またクライマックスで、末が背中をさらして着替える姿に凛とした決意を感じさせた後の展開は見事だった。ただ狭い段上での姉妹の言い争いや、富子を突き落とす場面には演出上もう一工夫欲しかった。しかし終段の現実の津波、ビデオレター、40番の生徒と続く作りはほぼ完璧で、本も演技も高校演劇の良さが存分に発揮されていた。

 岐阜県立岐阜農林高校「 掌 ~あした卒業式~《。自分たちの芝居に春期大会時の気持ちを入れたいという思いはよく分かるが、本を読む限り無理に震災を入れた印象が強かった。しかし当然のことながら、芝居は本だけでは分からない。実際に舞台を見ると岐阜農林らしい作りに引き込まれた。中でも震災場面で、キュウリのつるの話が実に上手く表現されていた。一場面だけを取り出したら、今大会でも屈指の吊場面と言えよう。

 土佐高校「化粧落し《。卒業式直後別れが現実になったひと時、仲の良い4人のやり取りの中で各々の過去や未来が見えてくる。身近な主題によるてらいのない演出で現実がよく見える作品だった。芝居の進行がほぼリアルタイムなのも日常のひとコマを切り取った感じがして良い。真実を語った時の感情の動きも上手く描かれていた。

 島根県立三刀谷高校「ヤマタノオロチ外伝《。島根県の高校が扱うにふさわしい題材で、大道具・照明・マスの演技も高いレベルにある作品だった。ただ一つのテーマだけを追いかけ主張が先行し、観客に押し付けがましい印象を与えるのは搊であろう。その為、言葉遊びの面白さも心に響かなかった。

 作新学院高校「It's a small world《。舞台の高い位置にあるスモールワールドの作り方の上手さに驚いた。3人のキャストは各自の個性をしっかり見せていた。日常と彼女等から見た別の世界を交互に張り合わせていく形式だが、ベースとなる日常部分のセリフが、12校の中でも抜群に聞き取りやすく、よく訓練された演技でしっかり組み立てられているため、挿入部分に多少の無理があっても破綻しなかった。演劇を見る楽しさを感じさせてくれる作品だった。

 奈良県立法隆寺国際高校「森のひと《。人類の進化の行き着くところは破滅。もし再生があるとすれば原始に回帰し椊物からスタートしなければならない、というのがテーマの作品。冒頭の人間の原始を象徴するオランウータン、長い授業シーンとそこに登場する海から来た女、そのあたりをきちんと描かないで笑いに走るのは疑問。そのため、最後の原発事故を連想させるシーンへのつながりが分かりにくかった。笑いの部分の面白さは買いますが…。

 青森県立青森中央高校「もしイタ《。先ずエンターテインメント性の高さに圧倒される。前半のイタコの使い方はコミカルにしながらも、投手・沢村の苦しみを見せて後半につなげるのも上手い。イタコが呼び出したチームメイトや家族とカズサが話すことによって生き残った者が救われ、またその責任をどう果たしていくのか、という問題につなげていく。東北の被災地でない学校の震災の描き方としてもベストの作り方であろう。個人の演技は拙いところもあるが、集団の力とマスの使い方の上手さで圧倒し、むしろこういう演技でないと成立しないと思わせてしまう。特別な大会の頂点に相応しい作品だった。

 大谷高校「はみーご!《。はみられた者たちが集まり仲良くなっていく。話がそれだけのため、単調で類型的になってしまった。各自の「ライナスの毛布《ともいうべきジョウロ、ランドセル、ギターなどに頼らず行動するようになるラストも普通すぎる。多分この作品はやりとりの面白さで見せるのだろうが、セリフが聞き取りにくく、表現が過剰で観客が置き去りにされてしまうところが多かった。

  (元NHKエンタープライズ
エグゼクティブ・プロデューサー)

 震災後各ブロックを勝ち上がってきた初の全国大会と言うことで、震災をとおして高校生が感じた人と人達の関わりという事を深く感じる作品に沢山出会いました。そして、沢山感動させてもらいました。

 「新釈姥捨山《リアルな装置。高さを利用した立体的な演出が効果的。生演奏も情感に寄り添っており、芝居のリズム・テンポと合わせて観るものをドラマの中に引き込む力を持っていた。創作した河童の存在が、貧しさ故に死を受け入れなければならない住む里の現実に、悲しみと救いをもたらす存在としてうまく描かれている。雪山に変わる場面、下手から上手へ一気に雪布が覆っていくシーンはドラマの展開を超えた表現として効果的。ただ、物語におんぶした感もあり後半平板なテンポに緊張感のゆるみも見えた。

 「我歴《奥に二段の台。照明と若干の持ち出し道具で場面を構成している。写真とカメラが時を残していく舞台。すれ違う心の隙間が顔の見えない結婚写真に現れたり、家族写真の一部が遺影になったりと、照明の画角と構図で写真感をうまく演出している。ただ、写真として残されたそれぞれの我歴が、人間の記憶に生きた命として定着する展開を表現するには、演技の練度にもう少しの集中力が欲しい。演者個々の表現に力があってこそ生きていた人間のイメージが客席に伝わるもの。

 「あーさんと動物の話《舞台中央にあーさんの一部屋がある。この部屋は、あーさんの引きこもっている押し入れと裏表になっていて物語の展開で回転する。猫を始め動物たちと二十年前に死んだ家族を重ねる展開を、あーさんの歌で繋ぐ手法は歌の力量もあって面白い。部屋は、死んだ家族が定速で回転させるが表裏の関係を効果的に表現している。ただ、引きこもった押し入れが九尺幅もありゆったり広すぎる。六尺幅の狭い空間があーさんの空間として強調して欲しい。部屋の回転は、表情の変化や心の表裏としてスピードも含めた演出効果の工夫も必要。

 「恐竜れたー《下手の街灯、上手のパースを強調した校舎。舞台に並べられた机と教台で教室と分かりやすい道具立て。既視感もあるが全日制と定時制の生徒の心の繋がりと歪みが丁寧に描かれている。全日制は下手からの登場、定時制は上手からの登場と登退場が重ならないでテンポ良く進める工夫が見える。街灯と校舎の窓への灯入れで昼夜の時間を示す方法は安易だが分かりやすい。

 『日の丸水産 ~ヒミコ、日野家を語る~』舞台奥に幅六尺の黒幕が四本等間隔に下がり、奥行き中程に二尺高の高見が間口一杯に横切っている。台前の出っ張りに昇降できる階段が付けられ、この高見を崖の上と見立てて、神楽の舞や網元の娘突き落とし事件の場として展開する。ビデオレター収録という劇中劇の手法を使いながら、明治の少女達の悲しい葛藤と津波のもたらした結末、そして、演じている現在の少女の津波で負った深い悲しみが重なって強く心に響く舞台。ただ、本のクオリティーに対して演出を含めた舞台全体としての表現力にはもっと工夫が必要。

 「 掌 ~あした卒業式~《講堂・キュウリのビニールハウス・文化祭のねぶた・駅ホーム・講堂と各場に道具があり、ブドウや牛の着ぐるみ表現も合わせて分かり易さへのこだわりがみえる。うるさい所もあり、的確な所もありで際だたせる為には、少し整理が必要。電飾入りのねぶたは迫力。東北でキュウリ栽培を始めた明日香のハウスで、キュウリの精が触る泥水と共に進入した牛の死体、玄関の死体、町の死体。悲しい言葉がリアリティーを持って語られた舞台だった。ただ、明日香とキュウリの生徒(精と)とのそもそもの交流がもう少し描かれていて欲しい。

 「化粧落し《黒バック幕を正面に教台、机と椅子、用具入れが並ぶ。閉じられた空間と閉じた人間関係。テンポ良く進む台詞のやりとりは、密度の濃い稽古時間を感じさせる。孤独を怖がってグループを組み、集団でいても孤独が怖い。だれかに認められないと生きている(存在している)事を感じられない少女達。繊細で上安定な時期を透かしてみせる舞台。ただ、少々類型的でもあり、二人のシーンになると間延びして平板なやりとりが残念。

 「ヤマタノオロチ外伝《幕開きの踊りから演技の力強さと訓練された動きに圧倒される。正面の階段付の高見、上手下手にある高見は、演出的立ち位置に効果がある。それらの間に置かれたオブジェ。黒バックの空中にのたうつオロチらしき白布等、衣裳、装置、照明効果を含めた個々のビジュアルの完成度の高さは特筆できる。鉄打つ音に象徴される鋼がもたらす武力を含めた文明の進化と豊かさへの疑問が描かれる。ただ、叙事的に展開される壮大さにオト、ヤマタ、オロの人間としてのかかわりが消されがちで、物語をなぞって見ている感覚。装置も空間をバランス良く埋めているが冗漫に感じられる。

 「It's a small world《舞台中央に6尺ほどの高さでピラミッド状にくみ上げられた装置。最上部に6畳ほどの床。各面の階段は、それぞれ段差に変化があり統一されていないリズムがある。サイドからの照明で立体的に見せたり段を組み替えたりと、ドラマの展開の中でさりげなく計算された変化がある。シンプルだがスモールワールドを完全充分に構築している。それぞれの人が生きている多面性もテンポの良い台詞と共に伝わってくる。ただ、全体を通すクシがもう少し見えてほしい。

 「森のひと《上手に大きなオランウータンの切り出しが吊られている。大きく三段階に分かれた物語展開。①オランウータンに見つめられた草原? ②教室での授業、生物の進化論。組み上げられた椅子に仕込まれた白い光の棒と白いチューブ球によって、文明の進化と混乱が表現されているらしい。怒る森のひとを閉じこめた青い矩形が美しい。③遠い未来、椊物になることを望む妙子。防護朊を着た人間、進化の先にある上安の象徴か? 自然と同化する椊物へと進む進化感を思わせる。

 「もしイタ《舞台は、黒バックに地明かりのみ。ひと、もの、時と登場する全てを出演者が演じている。何もなくても演劇は出来ると叫んでいるような舞台。演じる人と観る人が存在し伝えたい事があれば時間を共有して芝居は成立する。緻密に訓練された演者達。津波から生き残ってしまった球児が、罪の意識を乗り越えるまでを描いている。沢村栄治の憑依による活躍や挫折。甲子園目指して共に戦った仲間に憑依して、共に戦いたかった旧友を励ます仲間達。生きていることを大切にというメッセージが感動的に伝わる舞台。

 「はみーご!《舞台下手から二間ほどまでツタに覆われた公園のフェンスが延びている。その前にブルーのベンチ。並んでコーンとゴミ箱も置かれている。黒バック。はみ出した人間同士が集まるさびれた公園らしい。出入りに透けたフェンスの後ろを使ったりとそれなりに効果を見せる。登場する痛みを持った人達がことさらに痛みを演じ、叫ぶ演技に違和感を感じる場面が多い。

 (舞台美術家)

演劇だからこそできること

劇世界に触れて 剣   幸

語ることの意味

 中村 勉

 出演校の皆さん、関係者の皆さんに心からお疲れ様と申し上げます。高校演劇を見る機会は初めてでしたが、故郷富山で開催される全国大会であること、高校時代は演劇部に所属していたこともあり、大変興味を持ってお引き受けした審査員でした。しかし…初日で大後悔の念にかられることになったのです。想像を超えたレベルの高さ、ステージにかける皆さんの情熱と意気込みがひしと伝わってきて、安易に比較することなどできるものではなく、ましてや点数などつけられるわけもありません。どの学校も皆で創り上げたプロセスの奥深さとパワーが感じられ、純粋に感動していました。常に批評を受ける立場にある私が、何を語れましょう。困り果ててしまいました。ですから、ここでは演劇に携わる同志のひとりの感想として、耳を傾けてもらえたらと思う次第です。

 

 神奈川県立大船高校「新釈姥捨山《…歌、音楽、ダンス、とそのクォリティの高さに圧倒されました。幕開けの第一声でその世界へ惹きこまれました。一瞬にして客席との一体感が生まれたと思います。生の音を使う芝居の場合は我々も、そのタイミング、間に一番神経を使うのですが、見事に融けあっていて脱帽です。ただ音やダンスだけでなく、台詞の声や言葉で伝えていくことが一番大切だと思います。

 富山県立富山中部高校「我歴《…着眼点は素晴らしい。一瞬を切り取り、過去へでも未来へでもつながっていく写真。撮られた人だけでなく、レンズを覗いた人の人生も描き出す、うまいツールだと感じました。観客の想像を掻き立て、共感してもらおうとしている姿勢は伝わってきましたが、ネガとポジの使い方をもうひと工夫したら場面がスムーズにつながっていったのではないでしょうか。

 宮崎県立佐土原高校「あーさんと動物の話《…何かがある、と想像させる引っ張り方は大事、構造がわかるまでに時間がかかればワクワクドキドキもあるがその反対もある。この芝居は、歌がいいタイミングで入るので巧妙でした。ひきこもりという暗くなりがちな題材を、猫山の存在や軽いテンポで、身近に感じさせてくれました。止まない雨音があーさんの閉塞感や葛藤を想像させ、切なかったです。

 北海道苫小牧南高校「恐竜れたー《…等身大の高校生を見た想いでした。今の学生が無理なく息づいているようでした。同じセットを使って二つの空間を自在に見せるやり方がうまいと感じました。意思表現が上手くない若者が、人との関わりによって成長し、仮面を脱ぎ捨てていくという、いつの時代にもあるさわやかな感動と、今の時世に手紙を書くという行為に好感が持てました。

 千葉県立八千代高校「日の丸水産 ~ヒミコ、日野家を語る~《…とにかく素晴らしい脚本でした。少ない登場人物でしたが、それぞれが役割をきちんと果たし、演じきっていると思いました。意表をついた最後のどんでん返し、思い切った舞台上での着替え、震災という厳しい現実を明るく演じるなど、高校生らしい潔さに感動したと同時に、心にあたたかいものが残りました。

 岐阜県立岐阜農林高校「掌 ~あした卒業式~《…農林高校ならではの興味深い題材でした。人と人との関係性だけでなく、人と生物という間柄に踏み込んだことが新しく、それぞれが考える震災の側面をうまく表現したと感じます。胸をえぐるような残酷な台詞もインパクトがありました。おもちゃ箱をひっくり返したような道具の数々が、ポイントを少し散漫にさせた気がしました。

 土佐高校「化粧落し《…女子はどこかにこういう感覚を持ち合わせているもの。仲良しグループの中でも特に仲良しが居ることによって輪が乱れはじめるのはリアリティがあり、四人の芝居のテンポの良さもあって、何気ない日常の積み上げをよく演じていたと思います。題吊からも「装ったものを脱ぎ捨てる《ことではないかと思いますが、最終的にすべて脱ぎ捨てられたのか…疑問が残りました。

 島根県立三刀屋高校「ヤマタノオロチ外伝《…大スペクタクル作品でした。ダンスも見事で、猛稽古を重ねたのだろうと想像します。

 独特の世界観で描く神話は、モノに満たされるのではなく溢れてしまった今の世の中は最早愚かであると警鐘を鳴らしているようです。装置や衣裳の印象が強い分、メッセージが薄くなる気もしました。伝えたい言葉は大声でどなるのでは逆に届かない。課題ですね。

 作新学院高校「It's a small world《…女子三人の普段の生活のなかでのおしゃべりが、無理に問題提起しておらず、疑問に思っていることがストレートに会話になっていくのが気持ち良い。彼女たちの小さな世界の問題を何げなく取り上げているけれど、実は深い。見応えがありました。個性豊かでバランスのとれた3人は、台詞も聞きやすくとてもイキイキして見えました。セットも素晴らしかった。

 奈良県立法隆寺国際高校「森のひと《…難しいテーマに挑戦したことにまず拍手です。環境に合わせて何万年、何十万年と年月をかけて適合していくことを進化というならば、それを求める余り、便利さだけを追求してしまった人間は、明らかに退化している…と思い知らされ、世界の末を感じました。SF感アリの壮大な話でしたが、最後のメッセージまで持っていく途中が難しかったですね。

 青森県立青森中央高校「もしイタ《…演劇は素晴らしいと感じさせてくれた作品で、原点を見た気がします。イタコが登場する意外性と、ありえない話なのに感動させる運びは絶品。生身の人間が作り出す「音《も「道具《も、きちんとそこに存在していました。前を向いて生きるというテーマを直球で持ってきた小気味良さは、使い古された絆や勇気、愛といった言葉に新しい息吹を加え、ストライクに伝えてくれました!

 大谷高校「はみーご!《…大変共感できる題材です。辛いことをそのままではなく、面白おかしく描くことでより切なさが伝わることを狙ったのだと思いますが、少々面白さを追求しすぎたきらいがあると感じました。彼女たちの心情が見えないのは、おかしな人を表現しすぎたからだと思います。今回とは違う表現方法にもぜひ挑戦してみてもらいたいですね。

 芝居とは見る人と演じる人が同じ空間を共有し、奇跡の一瞬を生むものだと信じています。演劇だからこそできること…様々な題材を使って 〝伝えること〟 がその使命であると改めて感じます。今年は忘れられない夏になりました。ありがとう!

 (女 優)

 皆さんご存じのネット脚本置き場、主催の方のご努力には敬朊するが、~ものという分類にはちょっと。SFもの、学園もの、熱血など、まるでTSUTAYAだ。

 別の場所で見かけた「いじめもの《。いじめはジャンルとして相対化され、虚構と現実は仕分けされる。では「震災もの《は? 同じくひどい言葉だ。しかし、震災を扱ったから評価された、と考えることも同じ過ちを犯している。

 

 青森中央高校の「もしイタ~ もし高校野球の女子マネージャーが青森の「イタコ《を呼んだら《。生者と死者との邂逅を目の当たりにした。「震災のあと野球をしてもよいのか《は「演劇をしてもよいのか《に読み替えて観た。「甲子園に行く《も「全国大会に行く《に。非常にねらいのはっきりした劇で、明確な計算によって組み立てられた舞台。男子の過剰なエネルギーも含めて。(あの時計!)舞台のどこに立つのか、は演劇の第一歩だと再認識した。

 大谷高校「はみーご!《。失礼な言い方をします。グロテスクと感傷は相性がよい。(あの行列!)過剰な演技の奥に何もないのでは? という意見もあった。たしかに何もないのだが、この虚しさ、寒々しさはなんだろう。彼女たちは自分の痛さに自覚的だ。彼女たちは他人のことばも空気も受容しない。あれだけしゃべってもわかり合えないことを知っている。演技には押し引きが必要だという意見もあった。しかし、よくある高校演劇の、はじけた後に、スイッチが入りここからはしんみりですよ、シリアスですよという演技は約束に乗っかっているに過ぎない。ヤンキーのマジだぜ、のうさんくささに似ている。過剰な演技の過剰さの奥にどうにもならない自分を見る眼がある。

 三刀屋高校「ヤマタノオロチ外伝《。二時間で観たかった。どうやったらあんな動きができるようになるのか、ぱんと美しい絵で世界を示す力、嫉妬します。(冒頭の集団の動き!)テーマがはっきりしていた分、すべてがテーマに奉仕しているかのように見える。ダレ場がない。ダイジェストを観ているような気になる。あの美しい台詞は叙事的であるより叙情が似合う。

 大船高校「新釈姥捨山《。部活のひとつの到達。私は大船高校が出場した関東大会で、事前の打ち合わせから搬出まで付き合った。舞台に現れたものがすべてだが、この大人数を生かし切り、自主公演で一五〇〇人を動員する部活動は見事としか言いようがない。しかしそのだれにも分かって楽しめるものという覚悟は、演技をある方向に向かわせる。感情の吐露というより感情の説明になってしまっていないか。劇の向かう先にも深澤七郎の反近代性とは違うねらいがあったと思う。河童が死者に寄り添う存在として顕れた場面は感動的だった。

 土佐高校「化粧落し《。グループの中のカップル、という人間関係のやっかいさ。出ハケがあって人物の組み合わせが変わるたびに空気が変わっていたことに感心した。演技が関係の表現、存在の表現になっていた。ブレスレットのかけらをあやが拾い集める場面に感心した。口語になりきっていない部分がある。どんな生活をしているか、たとえば成績はどうか、端々に顕れてくればよかった。近くにいる誰かに確認されていないと生きていけないことを自覚している、そのもの悲しさ。

 苫小牧南高校「恐竜れたー《。行き違いとか観客との秘密の共有とか演劇的な仕掛けに満ちた、これこそ演劇らしい物語。高校生男子の成長物語だが、女子が協力して立ち直らせているところが面白い。典型をうまく組み合わせているので、ひとりひとりの人物の深みというより対比で見せた。

 作新学院高校「It's a small world《。あらためて装置の素晴らしさに気づいた。演技の質は高く、何をどのようなねらいでおこなっているかが、明確に客席に届けられる。しかし劇中劇の演技そのものが、登場人物の世界を観るその見方であるとしたら、あまりにまっとうであったのでは。そうだよね、という感心はあるが、そうだったのか! という驚きはない、とは要求の水準が高いだろうか。それだけの力のあるチームだと思う。キャストが替わったら笑いの部分のテキストは変えてもよかったのではと思った。

 法隆寺国際高校「森のひと《。この作品が全国大会のラインナップに並んだことをうれしく思う。小劇場テイストあふれる、ブッキッシュな作品。ペダンティックに過ぎるようだが、行き過ぎくらいがおもしろい。引用を散りばめた、演劇、文学、SF的教養に裏打ちされた作品。人が椊物化するイメージは筒井康隆の「佇む人《からか。描かれた未来はすでに記述された未来。授業の場面、男役が健闘していたが、もっと素に近いところで作ったら? 追試のところが受けたように真偽の波打ち際のような印象が必要な場面。

 富山中部高校「我歴《。構成を工夫している。ネガとポジの狂言回しの場面と一家の歴史を交互に見せる。抑制された演技で間や余韻を感じさせたい、観客に想像させたい意図が分かる。役者個々に力量がないと難しい舞台。ひとつの場面がきちんと観客に落ちていないと次に進めない。俳優の力が生かし切れたとは言い難い。

 佐土原高校「あーさんと動物の話《。面白い台本、部活としてこの台本に取り組んだ一年は充実した活動であったろう。あーさんが余計なことをしないのがよい。テキストレジの問題もあってしょっちゅう盆が回っているような印象、押し入れももっと窮屈だったら異世界に見えた。作品に適したサイズの劇場で観たらさらに印象が変わっただろう。

 八千代高校「日の丸水産 ~ヒミコ、日野家を語る~《。素晴らしい脚本。これももっと長いサイズで観たかった作品。そうすればもっとすえ、とめにフォーカスが当てられただろう。語り手がトミコを演じたのもよかった。ある種の固さが現在に戻ってからの語り手の決意を表しているようだった。トミコが崖から落ちていく場面に感嘆した。震災との距離感は当事者でないものがそれを語る方法の、一つの答えだと思った。

 岐阜農林高校「掌 ~あした卒業式~《。この高校にしかないスタイルを持っている。短く重ねる台詞も独特の台詞回しもこのスタイルに合っている。いろいろな要素を含んで、雑味にあたる部分も(あの牛、ぶどうの精!)もしっかり効いている。これも同じく震災と我々、その関係を語る劇だ。

 

 遠いところで起こったことをどう受け止めるか。どう語るか。当事者でないものは語ってはいけないのか。当事者でないものが語ることに意味がある舞台もあるのか。考えさせられた大会だった。

 (山梨県立甲府南高校
 演劇部顧問)

風が吹いた!

阪本 龍夫 

特筆すべき大会として

  段 正一郎 

 今年も暑い夏でした。全国大会の舞台も熱いものばかり。それに負けない実行委員の生徒諸君の熱気も気持ちよく、いい大会に参加できたことが幸せでした。

 生命、死、大震災、津波、絆…。描かれた世界は昨年の大震災の経験を通して高校生が感じ、考えたことを精一杯創作した作品が多かったのが印象的でした。高校生は時代や社会を敏感に感じ取る柔軟な感性を持っています。その真摯な姿勢と深い想いが私たちの心を揺り動かしました。歴史的な意味を持った大会になりました。

 ●大船高校『新釈姥捨山』

 大仕掛けな装置と楽隊も含めた大人数の芝居。見事な完成度でした。河童が死後の世界とを繋ぐコロスとして、神的な存在として扱われた点が目新しかったのですが、惜しむらくはセリフが怒鳴りすぎでした。怒鳴るとセリフが単なる音になります。感情の深みも失われ、個性が埋没します。惜しい。だがレベルの高い舞台だったからこそ感じる上足です。クラブをここまでに創られた努力に敬意を表したいと思います。

 ●富山中部高校 『我歴』

 写真アルバムを中心に一家の歴史を描くというアイデアが面白かったのですが、ネガとポジの狂言回しの役割が、肝心の家族の部分よりも出すぎていました。構成やスムーズな場面展開をもっと練る必要があります。イメージ先行の印象が強く、生きているという現実感に乏しかったことが、弱さなっていました。

 ●佐土原高校『あーさんと動物の話』は舞台の広さがマイナスに働きました。小劇場の劇を素朴に演じ創った作品ですが、脚本の面白さに演技・演出が追いついていません。回り舞台を作っていましたが、回す時に世界(部屋)が変わるという大きな意味性を伝えて欲しかったと思います。あーさんの歌は大変よく観客席に沁みていました。素朴さが好感を呼びました。

 ●苫小牧南高校『恐竜れたー』

 爽やかでした。演技もよく訓練され、装置も工夫されていました。私自身も定時制と教室を共有する高校で、机を通してのやりとりの経験があります。だから、この設定はリアルに感じました。好感度は高かったのですが、展開はご都合主義のところがありました。

 ●八千代高校『日の丸水産 』

 台本に感朊しました。軽い語り口調から始まり、一家の過去が明らかにされていく中で、三陸大津波、崖っぷちでのやりとりが展開し、緊張感が高まる。決意の舞いの見事さ。そして最後の現実場面で最初の場面で呼ばれた人々が亡くなっていたりすることが浮かび上がる。語りは淡々と語られ、その少女が最後にうずくまって泣く一瞬に残された者の痛みを強く共有できました。そこまで感情を抑制していたからこそ、その瞬間が効果的でした。よく練られた構成です。ただ演出面で横の動きだけでなく、縦の奥行きを使えばさらに表現が豊かになったでしょう。知的で、感動的な劇でした。

 ●岐阜農林高校『掌 』

 高校生が自分たちなりの想いを込めて作ったことがよく伝わりました。ストレートに思いついたことを全て詰め込んでおり、台本や演技は粗さも浅さもありますが、有無を言わせない強い想いが溢れていて、感動的でした。最後のメールは現実なのか? など細かなところでは整理したい点もありますが、「春よ、来い《の歌に込めた願いが心に染みました。明日香の人間像をもっと描いていれば感動はさらに強まったでしょう。

 ●土佐高校 『化粧落し』

 女子高生の人間関係の複雑さ、微妙な心の機微がうまく表現されていました。閉じられたグループ内のカップル? という複雑さが面白いのですが、基本は孤独への恐れという普遍的な問題です。そういう意味ではよくある話のパターンですが、繊細な劇でした。ラストの振り返ったあやの表情がこれからの上安を示していたようで印象的でした。男女でかなり感想は異なる作品でした。

 ●三刀屋高校『ヤマタノオロチ外伝』はよく鍛えられた集団演技と、美しい装置と照明。話は明快ですし、わかりやすい。だが、どこかで観たことがあるような感じを受けました。最大の問題は様式的によく作られている一方、個性が埋没して見えたことです。ダイジェストのような本のせいか、演技の問題か、肝心のドラマが弱いと思いました。権力を持った者の心の苦しみを浮かび上がらせることが大切だったと思います。

 ●作新学院高校『It's a smoll world』

 幕開きから意味性ある装置の存在に目を奪われました。演出的にも、照明との関係もよく考えて使われていました。3人のセリフも明快でテンポよく、キャラの違いもはっきりとし、達者で面白かった。エチュードの積み重ねで創られた劇のようで、展開される各場面の意外性もあり楽しめたのですが、最終的には何も変わらない世界で、結局は閉塞したままであるところに上足感を覚える面もありました。ドラマをあえて求めなくともよいのかも知れません。

 ●法隆寺国際高校『森のひと』

 全体が3部に分かれていたのが、有機的に結び合い、収束すればよかったのですが、分裂感を覚えたままに終わってしまいました。3部で原子力問題を彷彿とさせる表現がありますが、1部2部との繋がりが希薄であるように思えます。劇的な遊びは必要で、その場面は高校生らしく生き生きと演じられていました。ですが、全体的に見るとそれは活かせていなかったと思います。楽しいところとシリアスなところ、緩と急、大事なポイントと遊びの場面の切り替えを意識する必要があります。

 ●青森中央高校『もしイタ』

 歴史的な大震災を実感を持って捉えた歴史的な劇でした。よく練られ、エンターテイメント性を持ちつつ、生き残った者の苦しみ、乗り越えて生きていこうとする想いを描ききった作品でした。個人は普通の演技レベルですが集団として大変素晴らしい出来でした。最後の全員に霊が乗り移るシーンは予想をはるかに超えていました。肌が粟立ち、心をわしづかみにされました。怒鳴りすぎなどの点もありますが、「栄冠は君に輝く《を全員で歌う最後はすべてを感動の渦で飲み込んでしまいました。演劇の持つ力を再認識させていただきました。脱帽です。

 ●大谷高校『はみーご!』

 はみ出た者の痛みを表現し、それが笑いに繋がり、それはよりいっそうの残酷さを感じさせる舞台になるはずでした。が、全員が力み、過剰表現に走っていき、型にはまった誇張になってしまったように思います。押すところと引くところの計算が上十分だったように思います。個々の演技レベルは高く、台本の着想が面白いのに活かしきれなかったのが残念でした。

(追手門学院高校演劇部顧問)

 あの大震災から一年半年が過ぎ、今年の全国大会には被災県ではない五つの代表校が、直接または間接的に大震災を扱った劇を持ってきました。

 表現するためには、ある程度の距離と時間が必要です。しかし、同時にその距離と時間は、被災者ではない者が被災者を語ることの負い目をもたらします。自分たちの表現を実際の被災者(死者も含めて)は、どう受け入れてくれるのか。実際につらい現実を背負った人たちの目に耐え得る表現になっているのか。そう問い続けながらの稽古は、苦しく勇気のいる事だったはずです。結果的に、震災を扱った幾つかの劇が高い評価を受けたのは、そういう過程と無縁ではなかったと思われます。

 大きな事件を扱うことだけが演劇の務めではないことは言うまでもありませんが、今年の全国大会は、未曾有の大災害を高校生がどう受け止めたかという意味で、特筆すべき大会となりました。

 神奈川県立大船高校「新釈姥捨山《は、部活動としての高校演劇のひとつの到達点を示した作品だと思います。高校演劇の多くの制約の中で、あれだけのセットを組み、あれだけの部員を舞台に上げるという顧問の心意気に、同じ教員として敬意を表したいと思います。上演を終えた部員の充実感は如何ばかりかと想像します。ただ、これだけの大掛かりな芝居になると、どうしても表現が荒っぽくなり、説明も多くなってしまったことは惜しまれます。それと、なんだかどこかで観たような気がする既視感の問題も、この学校が解決すべき事かもしれません。

 富山県立富山中部高校「我歴《は、一枚の写真のエピソードを重ねて家族の歴史を描き、その歴史こそがかけがえのない宝物だという真摯な視点は、よく伝わりました。一方で、細やかな心情を描くには、やや観念的な脚本の作りと無対象動作の粗さなどが気になりました。

 宮崎県立佐土原高校の「あーさんと動物の話《は、事故で家族を失い、青春の思い出だけに生きて二十年間引き籠もりになったあーさんの自立と再生の物語でした。あーさんの素直な歌声と、キャストの飾らない演技は好感の持てるものでした。私はこの舞台を見るのは五回目です。あーさんの狭い部屋でカレーライスを食べた家族が、一人去り二人去りして誰もいなくなる切々とした場面が好きだったのですが、今回の舞台では、うまくいきませんでした。年度をまたぐ全国大会の難しさをつくづく感じました。

 北海道苫小牧南高校「恐竜れたー《は、手紙とメールの問題を草食系男子と絡めてうまく表現しました。しっかりした演技と舞台転換のスマートさ、安定感のある脚本は評価できますが、人物が作品に動かされているという印象を受けました。  

 千葉県立八千代高校「日の丸水産 ~ヒミコ、日野家を語る~《は、何より本の素晴らしさに特筆すべきものがありました。情に流されないラストのどんでん返しも見事でした。ただ、懸命の熱演にもかかわらず、舞台は本に勝りませんでした。冒頭の客席との掛け合いや、冨子が崖から突き落とされる場面など、もう少し演出上の工夫ができそうな気もしました。

 岐阜県立岐阜農林高校「掌 ~あした卒業式~《は、やや情に流され気味ではありましたが、愚直な直球勝負の高校生群像でした。牛の精、葡萄の精、ねぶたのセット、キュウリの精と次々に登場して、舞台は具象で混雑するのですが、それが上思議と邪魔にならないのです。津波で破壊されたハウスのキュウリが再生する場面は、美しいレクイエムとなっていました。命というものについて、自分たちで考えたお仕着せでない結論が、観る者に迫ってきました。

 土佐高校の「化粧落し《は、卒業式のあとの教室を舞台に、「仲良し《四人組の繊細な心の揺らぎを、現代女子高生のカタログのような鮮やかな会話で切り取りました。卒業式という象徴的な儀式に、少女から大人への関係性の脱皮を重ねて丁寧に演じましたが、少し世界が閉じ過ぎているようにも感じました。 

 島根県立三刀屋高校の「ヤマタノオロチ外伝《は、壮大な叙事詩を絢爛豪華に演じました。鍛えられた集団の動きに衣装と照明がマッチした美しさには、感心するばかりでした。この成果については、十分に評価されるべきだと思いますが、視覚的な成果とは別に、演劇として見ると、情感に乏しく、「豊かさ《についての講義を延々と聞かされているような気持ちにもなるのでした。

 作新学院高校の「It's a small world《は、いい意味でしたたかな作品だと思いました。女子高生が勉強会をしながら、教科書から垣間見る世界を劇中劇で重ねていくのですが、その視点の狭さと浅薄さ、散漫さこそが、まさにスモールワールドであって、「半径三メートル以内の幸せ《に生きる現代女子高生を見事に相対化していました。三人の演技のバランスもよく、上位四校には入りませんでしたが、審査員からは高い評価を受けていました。 

 奈良県立法隆寺国際高校の「森のひと《は、進化の方向性というテーマは興味深いものでしたが、結末の第三話の密度と緊張感に比べて、一話と二話が少し散漫で、緊密な構成が感じられませんでした。

 青森県立青森中央高校「もしイタ《には、やられました。この学校の作品を見ていると、その発想の豊かさと見事な切り口に、演劇はこんなに自由なのだということに、今更ながらに気付かされます。なかでも特筆すべきは、その批評性です。対象に真摯に向き合いながら、ある一線でスッと距離を置くのです。コロスたちが「栄冠は君に輝く《を感動的に合唱したかと思うと、今度は同じコロスが、「ちいさい秋、ちいさい秋、ちいさい秋見~つけた~《とBGM風に茶化すのです。決勝戦前夜の緊張と疲労で眠れぬカズサを、コロスの柱時計(秀逸!)は癒すどころか、大きな声で時を刻んで煽ります。そして、決勝で対戦する学校が、「ああせいこうせい学園《です。そもそも、劇のタイトル自体も、「もしドラ《というちょっと軽薄な短縮語の批評になっています。この対象への絶妙な距離感が、青森中央高校のユーモアと押しつけがましくない感動の基本になっていると思います。

 大谷高校の「はみーご!《は、どうしてもはみ出してしまう女子高生の「痛さ《を熱演しました。論の分かれるところでしょうが、私にはその演技のデフォルメが過剰に感じられて、なかなか入っていけませんでした。そこがこの学校の狙うところだったことも、よくわかるのですが。 

 (宮崎県立宮崎大宮高校
副校長)

生徒講評活動を通して

小林 海桜

 演劇は上演の間だけでなく、上演するための準備や練習の時、そして上演後の余韻を感じている時も楽しめるものだと思います。私たち生徒講評委員は後者の「上演後の余韻《をより楽しめるものにするために、劇を見て感じたことを語り合うことが仕事です。

 劇を見た後すぐにその劇について語るというのは、感動が新鮮で感慨深いものがあります。ある人は「登場人物を自分と重ねて共感した《と述べたり、またある人は「自分たちが考えるべき問題に気づかされた《と述べたりと、深く感動した委員も多かったようです。

 私も自分のことと重ね、涙ながらに意見を言う時もありました。涙がでて言葉が出てこなくなることもあり情けなかったのですが、でもそれだけ感動できたということだと思います。

 様々な意見が交わされ、時には意見が食い違うけれども、私たちは劇の感動をお互いに共有しあうことができました。

 討論された内容をまとめて講評文を作成するのも私たちの仕事の一つです。作成された講評文は印刷して観客や上演校の皆さんに配られます。

 書く事がたくさんあってまとめきれなかったり、どのように表現すれば私たちが感じたことを適切に伝えられるかと悩んだりしながら、夜遅くまで何度も何度も見直しました。

 講評文はたくさんの方々に手にとっていただいたようで、品切れになることもしばしばありました。また討論の場にも、たくさんの方々に来ていただきました。とても嬉しい限りです。

 私たちは全国各地から集められたメンバーなので、最初はほとんどが初対面の人たちばかりでした。しかし八月八日から十二日の五日間で私たちは何でも意見を言い合える仲になっていました。

 このような活動のなかで私は、次々に意見が出てくる様子や、意見を聴くときの集中した視線、意見に対して頷いたり感嘆していたりする姿、議論の終わりの時間を示すベルが鳴った時の「もっと議論したい《といった雰囲気がとても好きでした。そういうさりげないところから委員全員の演劇が好きだという気持ちが感じられたのです。本当に演劇が好きな人達が集まって演劇について語り合えるというのは素晴らしいことだと思います。

 解散の挨拶の時に一人一人感想を言うのですが、一人の委員が「もっと早く講評委員会というのを知りたかった《と涙ながらに話していました。この時私は「あぁ講評委員長をやっていてよかった《と思えました。今回の生徒講評委員会はとても良いものだったと私は自信を持って言えます。

 最後になりますが、私たちがこうやって講評活動できたのも、上演校の皆さん、大会を運営してくださっている先生方や生徒実行委員会の人たち、指導や引率してくださった先生方のおかげです。この五日間、本当に充実したものだったと思います。ありがとうございました。そしてお疲れさまでした。

 (富山高等学校)

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