タイトル   復刊第90号(静岡大会特集号)Web版

5.尊敬と感謝と、 反省と         鈴江 俊郎

  考えこんだ三日間でした。演劇とはなんだろうか、と。
 昔は、スター誕生、というような歌番組がテレビでたくさんありました。客席の最前列に職業作詞家・職業作曲家が並んで、歌が披露されるたびに「コブシきかせすぎだよね」「心がないね」などと御託を並べます。私たち審査員の位 置はちょうどあの人達と似ています。時々その自画像に笑いそうになってしまう。順位 まであの人達がつけたら、きっとものすごく不条理な番組だったろうな、と。しかもステージの上にはボサノバありハードロックあり民謡ありフォークありクラシックあり、様々タイプの違うものが並べられているのにそこに順位 をつけるのです。
 つまり「歌は、酔いしれるためであって、順位をつけるためではない。」……これが踏み外せない大前提です。しかし歌作りのモチベーションを高めるには順位 がつき、競い合うことが現実にずいぶん有効なことにはなっているらしい。だから泣き泣き順位 をつけていたのだあのおじさんおばさんたちは、と理解してほしいのです。
 たて続けにお芝居をこんなに観る機会は他にはありません。思わず知らず発見することはたくさんあります。チームワークなんて目にみえないもののはずだけれど、舞台の上には見えるんだなあ、ということ。一人ひとりの創造性、なんて目に見えないもののはずだけれど、舞台の上には見えるんだなあ、ということ。しかもそれは露骨に芝居の質の決め手なんだなあ、ということ。自分の劇団、八時半のことを痛くいたく省みました。私たちはまだまだだなあ、こいつらに負けているなあ、と。
 演劇は徒党を組むところからすでに始まっています。はじめは気の合う連中がうじゃうじゃ集まり、 旗揚げ公演。誰か一人が特別偉いわけでもないので方針の決定は議論による、と言えば聞こえはいいけれど要するに口げんか。大変対等な関係からスタートするのですが、役割上誰か一人が「劇作家」や「演出家」になる。彼に能力があって上演の成果 も出て、劇団員から信頼が厚くなると、皮肉なことに役割は次第に固定されていきます。劇団員は「指示する人」「される人たち」に二極分化します。次第に「役割」は「人格」と見分けつかなくなっていって集団が腐る。つまり「演出家」が要求している、とは見えなくなって、「××さん」が要求するとそれは正しい、あるいは憎い、ということにしかならなくなる。「××さん」は人格的に皆の上に君臨するようになる。すると役者は自分でモノを考えなくなり、「××さん」の操り人形と化して舞台の上に立ち、魅力のない上演が量 産される。……たいていの演劇集団がたどる道です。生彩のない舞台が生まれるにつれて演出家は焦ります。こんなのじゃいかん。みんな、よく考えようよ。ね。自分たちは少し狂い始めてるよ?……難しげな集団論や方法論が誕生するのは、演出家がどうしたってこういう事態に直面 して苦しむからです。誰かが保護者で残りが依存者、という関係ではやはり辛いし、上演の成果 には結びつかないのです。
 おそらく職業的な演劇人は常にこの難問に悩まされています。身の処し方は十人十色ですが、本気で悩むのは同じです。  高校生とは言え演劇は演劇。メカニズムは同じです。私が全国大会で目撃したすばらしい上演は、特にこのあたりの点がすばらしく機能したのだ、と感じました。 十六歳や十七歳でこんなすごい上演を実現されてたまるか、とくやしい思いをしたのですが、考えてみれば十六歳や十七歳だからこそなのかもしれません。役割が固定されて腐ってしまう暇もない時間の制約、しかも学校という日常生活の大半を一緒に過ごす濃密さという場の条件、しかもそれが全身全霊ぶつけあいたくなる年ごろの若者ばかりだという人的条件。もちろん、条件さえ揃っていれば誰でもできるわけではありません。創造性、感受性、そういうものがとても秀れていたのは言うまでもありません。しかし往々にして創造性や感受性が秀れている人は自己主張が激しくなりがちです。チームワークと創造性はなかなか両立しない。だから演劇は難しいのです。
 演劇を作る、というのは人生・社会生活の縮図のようなものだ、と思います。人がたくさん寄り集まり、一人ひとりが自己主張しあい、そして譲り合い、もめごとに直面 しても情熱を失わず、そして生まれる成果を誠実に反省し、向上を目指す。その過程がうまくいった時にお客さんは感動するのです。そしてそれはとてもまれなのです。
 皆さんの体験を忘れないでほしいと思います。それは高校を卒業したあとの長い社会生活の上でなによりも大切にするべき宝です。何年かしたら多くの人は気づくでしょう。「高校の時に実現したあの仲間とあの成果 は、簡単じゃないものだったんだ」と。
 すばらしい上演をみせてくれた少年少女達を尊敬します。私は尻をたたかれました。今度は自分たちが見せる番だと考えています。創作意欲をかきたててくれた皆さんに感謝します。
    (劇作家・劇団八時半)