タイトル   復刊第90号(静岡大会特集号)Web版

8.室内楽と シンフォニー        高山 真樹
 
日々に追われて収い忘れた風鈴が秋風に鳴るのを聞き、過ぎた夏を想って目を閉じれば……、蝉時雨を潜って通 った三日間、郷里浜松のあの蒸せかえるような会場が目に浮かぶ。公会堂→市民会館→教育文化会館と名前も外様も変わったけれど……、あの五社神社の石段は昔のまま。振り辺れば--- 。
 浜松市立高校演劇部の初舞台「月食」で、上級生を娘にして母親役を演ったのだけれど、搬入搬出はすべてリヤカーだったなあ…と懐かしい。山本安英の「夕鶴」、滝沢の「ゴッホ」、岸田国士が演出中に倒れたという文学座の「どん底」等、新劇の洗礼を受けたのも公会堂時代。サーチンの芥川比呂志を楽屋に追っかけサインを貰ったプログラムは、今も大事にしまってある。俳優座公園の「三文オペラ」でプロとして始めて帰浜し、カーテンコールで御当地出身の紹介と花束を戴いた市民会館時代。そして今夏、教育文化会館での名誉ある審査員席に先生などと呼ばれて座っている私--- 。劇場の歴史に自らの演劇史を重ね、もう一つ自分史を重ねてみると、何とも感慨深いものがある。  さて再び目を閉じれば……、異様な興奮に包まれた会場に、油絵あり水彩あり、パステルあり版画 ありと、彩とりどりの11作品が勢揃い、昨秋、東京と埼玉の地区大会を審査した目で見る今大会はひと際興味深い。一つ一つのピラミッドの底辺に透けて見える沢山の舞台達--- 、玉石混交様々あったけれど、無償の行為に惜しみなく流す汗は、いずれも尊く美しい。潰れてしまったクラブ、潰れてしまいそうなクラブ、たった三人のクラブ、大会直前出場不能になったクラブ等、部の維持の大変さをつくづく感じ、部員、顧問の方々の御苦労が偲ばれる。
 さて、さすが全国大会!各校それぞれ今の世を写した精一杯の力投は清々しいものだった。中でもトップを争った「山姥」と「ホットチョコレート」は、涙と笑いのバランスが良く、演出、演技の巧みさと相まって、見事に客席を集中させ、群を抜いた出来映えだった。「山姥」は、厳しい日常訓練を窺わせるしなやかな肉体と発声で、漲る若さと意欲をスケールの大きいダイナミックな群衆劇に結実させた。伝統芸能もよく研究して、演出、演技に生かし、楽器、小道具、衣裳等にも工夫の後が見え、ちょっとしたアイディアの楽しさが観客の心を解しタッチをつけた。山姥の宿命の母性愛は哀しく山野に谺し、私は一時間共に涙し笑いに弾けた。
 さて「ホットチョコレート」。シンプルな装置の前で、青春の哀感を、瑞々しい感性と嘘のない演技でさり気なく淡々と摘き切り、出演者全員、爽やかに伸び伸びとあの空間を生きていた。まさに等 身大のお手本でしょう。御同役の男性諸氏が素直に参ったのはちょっと意外でしたが……。悲しいとか淋しいとか一言も言わずに、哀しさと切なさがヒタヒタと滲むなんて、チェーホフの世界……か。そしてあの間の巧みさは絶妙の心のキャッチボール。それから何といってもあのテーマ曲!今もなおあの抱きしめて≠フメロディーが胸に鳴ります。B・Sのインタビューの際に、あの曲のCD化を求める声が多いという話があったが、それに答えたミオ役の喜井さんが、あれはあのままそっとしておきたい≠ニ控え目に言ったそのこだわりの清々しさに、改めてあの本の出来た根っこみたいなものに触れた想いだった。静と動・室内楽とシンフォニー、甲乙つけがたい異極の双璧だった二作品を並べて決戦投票の結果 「ホットチョコレート」に決まったのだけれど、脚本賞に例外を認めたくらいなら、「山姥」にも賞をあげたかったというのが私の本音だが、これはもう好みの問題なのだと言葉を控えてしまった。オリンピックでもそうだが、自らの感性が問われる芸術点の微妙さと難しさを改めて感じている。
 プログラムの過去の大会記録の中に、高山高校時代の恩師桜木英二先生(岐阜北高校)の名を、12・15・16回と三つも発見した。先生の戯曲集の冒頭にはこんな言葉がある。 --- 演劇は永遠に融けない  雪の像を彫むようなものだ---        (俳優座 女優)