復刊91号  WEB版


2 都道府県だより   ぐんまだより    金子 明雄

 こんにちは、群馬です。
 なにを書いてもかまわない。内容についてはなんの指定もないということなのですが、ここでは現在の群馬県の高校演劇の状況についてお話しし、そこに幾分かの筆者の所感を付け加えさせていただき、その任を果 たさせていただきます。
 まずは、観光ガイドのような話から。群馬は古名を上州といいます。他県の方は本県の名を耳にすると、山・スキー・温泉と連想するらしいのですが、確かに山の数・スキー場の数・温泉の数といったら、三つ合わせた総合点では、日本一ではないかと、勝手に考えております。勿論、名山といえば信州の右に出るものはありませんが、上州の山は、奇観ともいえる個性的な容姿のものが多く、バラエティーに富み、登り飽きしません。温泉も草津・四万・伊香保と人気商品以外にも数え切れないほどの温泉があり、スキー帰りのかじかんだ足を揉みほぐすのに便利です。
 さて、群馬の高校演劇についてご紹介させていただきます。ちょっとオカタイ話しをいたしますと、群馬の高校演劇は群馬県高等学校教育研究会の一組織である演劇部会が拠点となって活動しております。昔、「毛の国」とも呼ばれた関係上、群馬はエリアを四つに分けたとき、北毛、中毛、西毛、東毛という区切り方をします。これらを四毛と称し、それぞれの「毛」で地区大会や演劇祭を実施しております。
 本県の高校演劇の特徴とはなんでしょうか?  私は「からだ」にあるだろうとおもいます。他の都道府県では、巨大にして精緻といった舞台装置をときどき拝見しますが、本県ではまず見ることはない。いうまでもなく、決して、舞台装置を軽視しているわけではありません。舞台装置が演劇においていかに大きな意義を持つ要素であるか、十分に認識しています。しかしながら、装置に注ぐ力よりも「からだ」にたいしての努力を重視している傾向が本県にはあるようです。
 「からだ」には、顔があり、四肢があり、顔には表情があり、四肢には豊饒なる動きがある。そうして、「からだ」からは言葉を載せることのできる声が放たれる。「からだ」はもう一つの自然であると同時に、創られた、または創ることのできる芸術作品でもあります。無限の形態と表情を持つという意味合いにおいて、まさしく自然であり芸術である「からだ」を、神秘と可能性の対象として駆使し、果 てしない魅力とおもいどおりにならない苦労とを体験しつつ、演劇時空のなかで開花させていく歓喜|これはこの世のよろこびのなかでも最高位 に位置するものの一つではないかと私はおもいます。群馬の高校演劇はそのよろこびを理屈ではなく、文字通 り「からだ」で知悉しているのでしょう。舞台上で「からだ」を動かし何かを表現している役者たちを見ますと、天と地の間で「真剣な遊び」を「真剣にたのしむ」姿というものを感じます。
 2003年には関東大会が、2008年には全国大会が本県で開催されます。関東大会の準備については、昨年暮れより始まりましたが、全国大会につきましては、まだまだイメージさえも湧いてこない状態です。これから、関東の先生方、全国の先生方のご指導とご助言を頂戴しながら、実り豊かな大会が開催できるよう、たのしみながら着実に準備していきたいとかんがえています。
 上州の冬は名物のからっ風が吹きまくり、赤城おろしが頬を打ちます。夏は夏で、内陸の扇状地は気温も高く、額の汗を誘います。海なし県。そばにこんにゃく、焼きまんじゅう。「雷とからっ風義理人情」と荒っぽい反面 、わが国の現代詩を意味から開放し、感情そのものを詩の主役に変えていった巨星萩原朔太郎を生んでいる群馬県、いちどいらっしゃってください。言葉は荒いが、人情に厚い。みなさんを快くお迎えいたします。(かねこあきお・事務局長)