復刊96号  WEB版


審査員講評

戯曲を書くということ (創作作品批評)   平田 オリザ
 今回の全国大会の講評では、生徒創作の戯曲に限って、まとめて時間をとって解説をしました。この原稿でも、全体の講評は他の先生方にお任せして、生徒創作の三作品を中心に話を進めたいと思います。大会時の講評と重複する点が多くなるかと思いますが、ご容赦ください。  さすがに全国大会ということで、いずれの創作作品もレベルが高く、高校生でここまで書けていれば充分だともいえます。ですから、これから書くことは、それでももう少し工夫する点があるとすれば、どこだろうということだと思って読んで下さい。
 大谷高校の『いきっぷし』は、携帯電話のメールを題材に、実はすべてのメールを自分(あるいは自分の分身?)が出していたという、非常に優れた発想に基づいて書かれた作品でした。
 ただ、残念なのは、この主題を、主人公のナナ一人の悩みに集約させてしまったために、劇としての膨らみに欠ける結果となりました。  これは高校演劇、いやセミプロクラスの演劇でもよくあるケースですが、主人公一人に、悩みや主題を集中させると、演劇というのはたいていうまくいきません。
 小説と違って、演劇というのは、複数の人間が、一つの悩み、問題、運命を共有し、そこから個々人の価値観や世界観の違いが浮かび上がってくる構造を作っていかなくてはなりません。
 ところが、この『生きっぷし』では、問題に気がつくのも、悩むのも解決するのも、すべて主人公が一人で行ってしまいます。当然の結果として、台詞は一人の長台詞が多くなり、観ている人には、どうしても独りよがりの印象を与えてしまいます。
 私は、審査員をするときにはいつも、もしもこの芝居を自分が引き受けたらどうするだろうかと考えます。
 さて、この『生きっぷし』について、もし上演十日前に相談を受けたとしたら、せめて問題に気がつくところ、すなわち他の登場人物が、すべて主人公の分身であるという点について、分身の側から主人公を責める形をとったでしょう。そうすれば、少しは、主人公と周囲の対話の中から、主題が浮かび上がってきたと思います。
 もしも稽古の始まりの時点で相談を受けたなら、クチキさんという少女だけでも、現実の存在として、彼女だけがナナの秘密を知っているというような構成にしたかもしれません。そうすれば、クチキさんとナナのやりとりの中で、観客に自然と主題が伝わっていくからです。  あるいは、台本を書き始める前に相談を受けていたら、数人の同級生を、主人公の周りに据えることを勧めたでしょう。メールでしか会話のできない生徒、携帯電話さえも持っていない生徒といったように、メールという主題に、いろいろな距離を設定しておくことで、書くときにずいぶん書きやすくなったはずです。
 久留米大付設高校の『フラスコ・ロケット』は、逆に、三人の高校生が、化学部に新入部員を入れるかどうかを巡って、見事に問題を共有し展開していきます。
 しかし、こちらは、あまりに問題が小さいために、一時間の舞台を持たせる戯曲にはなっていませんでした。特に、アオヤマ君が、どうしてムラセ君の入部に反対するのか、その肝心の理由が弱いために、物語を展開させるエネルギーを欠く結果となりました。ラストの弱さも、設定した問題の深みの足りなさに起因しています。
 滝高校の『いってきます!』も、高校の演劇部員たちが、部活動を続けていくという問題に絞って、うまく主題を共有していました。また、舞台を学校内ではなく、駅前広場に設定し、人の出入りをスピーディーに処理したことで、完成度の高い舞台になっていました。  この戯曲は、ある意味では、高校生の創作の教科書のように、構成上は、うまくできてはいます。
 ただ、一つひとつのエピソードが弱いために、観客に訴えかける力に欠けていたと思いました。具体的には、個々人が部活動を続けられない理由が、勉強であったり、恋愛であったり、少しありきたりすぎる。この劇を観ている多くの高校生は、同じ悩みを抱えながら、しかし部活動は続けているのですから、多少説得力、訴求力が弱くなってしまいます。
 一方で、一人の少女の死という極端な事件を設定してしまったために、他の小さなエピソードとのバランスを欠き、強引な展開だという印象を与えてしまいました。
 本当に少女を死なせる必要があったのか。他の理由で、演劇を続けられなくなった方が、より説得力があったのではないか。ここはねばり強く、考える必要があったでしょう。
 うまい戯曲を書く魔法のような方法はありません。しかし、書かれた戯曲を検証し、よりよい作品を書いていく方法はあります。
 まず何よりも、戯曲というのは独りよがりになりがちなので、地区やブロックごとに、何らかの形で相互批評のシステムを作っていくことが必要でしょう。
 生徒創作の場合も、一生徒のがんばりで終わらせるのではなく、継続した積み重ねが大事だと思います。 (劇作家・演出家・桜美林大学助教授)