復刊96号  WEB版


 第二分科会 《評  論》   

「演劇における評論の役割 及び90年代以降の日本の演劇について」 講師 扇田 昭彦

 演劇評論がなくても演劇は成り立ちます。しかし、演劇というものがスムーズに回転して行くためには演劇評論が欠かせない役割を持っています。作られた作品をきちんと見て良し悪しを判断する場が演劇には必要です。
 良い演劇評論とは、まず第一に、たんなる印象批評であってはなりません。なぜそれがよい芝居なのか(もしくは悪いのか)を論理だてて言わなくてはなりません。また、演劇には色々な要素(脚本・演出・装置・音響照明その他)がありますが、それらを総合的に限られた分量で評価を下す必要がります。そのような批評の存在が演劇をより豊かにすると思います。
 但し、そのような評価を下すためには、批評家が「本来あるべき演劇の姿」というようなビジョンを持っていることが必要です。ところが、劇評が職業になってくると、それが非常に難しくなってきます。批評家になると、本来非日常であるべき芝居を日常的に見なくてはなりません。すると「本来あるべき演劇の姿」を見失いがちになります。あるべき姿を失った批評は、批評としては弱いものになってしまいます。気を付けなければいけない点です。
 続いて、90年代以降の日本の演劇についてですが、会場にいる高校生のみなさんに関心のある劇団についてアンケートを取ったところ、劇団四季・キャラメルボックス・東京サンシャインボーイズなどの名前が上がりました。これらの劇団は90年代以降の演劇の流れの中でもかなりな地位を占めている集団です。90年以降日本の演劇に何があったのかについて、5つぐらいの項目に分けてお話したいと思います。
 一つは、今大会の審査員でもあります平田オリザさんなどの『静かな演劇』と呼ばれるものです。90年代に入り日本の社会は不況に突入しました。その社会状況に影響をうけて登場したのが『静かな演劇』と言われる物だと思います。
 2つめには、三谷幸喜さんなどを代表とする、『ウェルメイド・コメディ』という芝居の流れがあります。日本の現代劇は新劇の頃から社会劇・前衛劇が中心だったのですが、三谷幸喜によって初めて誰もが楽しめる芝居が現れたと言えます。
 3つめは、松尾スズキやケラリーノ・サンドロビッチなどの『ダーク・コメディ』とでも言うような物。これらはある意味、現代の最も優れた社会劇かもしれません。
 4番目は、劇団四季に代表されるミュージカル。最近ミュージカルの人気が非常に高く、地方自治体などが主催する市民参加の演劇でも、ミュージカルをやることが多いようです。
 高校演劇もこのような傾向が出てきておかしくないと思います。
 5つめは、それまで日本に無かった、新国立劇場など公共劇場の役割です。
 90年代の不況下で、演劇人がかなり民間から公共へシフトしました。この流れはこれからしばらく続くだろうと思います。高校演劇についても、もう少し公共が関わってくる形の発表会なども出来るのではないかと思います。