復刊98号 福井(鯖江)大会特集号  WEB版


おいでね、福 井 へ    向井 清和
背伸びはしないし、できもしない。それが私たち福井の高校演劇仲間の偽らざる思いです。
とても小さく田舎で、いつもどこにあるのかすらよく分からない、最も知名度の低い県の一つだと思います。会場も約千名の収容能力しかない、こじんまりしたホールです。周辺ものんびり田園風景がひろがり、もしかしたら全国大会始まって以来の、最もローカルな場所での開催かもしれません。
五年前から準備して参りました。先催県の先生方にはいろいろとお世話になりありがとうございました。懇切丁寧なご助言、暖かい励ましに、どれほど勇気づけられたことか分かりません。それにしても、先達のような立派で華やかなことはとてもできないな、と恐れ入るばかりでした。予算、人手、組織づくり、関係機関や行政との調整など、難題山積、四苦八苦しながら準備にあたってきました。
時にやりきれない思いに突き当たりつつ、手探りを続ける中で、あらためて高校演劇とは?と何度も問い返しました。
客観的に全国ナンバーワンを選ぶコンクール、ということになるのですが、演劇が表現である以上、表現に本質的な優劣はないのではないか。花々がナンバーワンを競って咲くわけではないように、どの舞台もそれぞれの完成度はあるにせよ、それぞれのあり方、オンリーワンを表現しあっている。とすれば、全国大会に求められているのは、高校生たちの多様に花開く表現であって、それでも賞を与えるべく選考がなされるなら、それは技術的優劣の差をつけることではなく、どれだけ感動したかという共感性の高さを評価することに主旨が置かれるのではないかと思われます。
しかし、人を感動させようとすればするほど、逆に感動から遠ざかってしまうものです。プロのような感動へのしかけを計算できるほど、高校生たちは人格がまだ安定していません。むしろ、人を感動させられるかどうかを意識する前に、無心に演劇へ集中してしまえるところに高校演劇の魅力、独自の輝きがあるのではないかと思うのです。懸命に言葉にならない何かを伝えようとするひたむきさ、それが時にテクニックを超えて人の魂を揺さぶるのであり、そこで共感し分かち合う苦しみや喜びによって、さらなる人生への意欲を育てます。高校演劇が大切にしてきた教育的側面とは、こうしたピュアで不安定な高校生たちの生きざまそのものがドラマとして舞台に内在し、その演劇を通しての彼らの成長に価値をおくところにあるはずです。
つまり、人生に感動がないから演劇に感動を求めるのではなく、演劇を通して人生が感動に満ちたものになりうるのだということを学びあう、それこそが高校演劇の高く求めるところなのではないかと思うのです。
今回、力不足の私たちが、中部ブロックの仲間たちの力を借りて、あえて生徒講評委員会の試行をさせていただくのは、観る人にも演じる人にも、ただ芝居の優劣を競う大会であることを超えて、こうした共感性を高め、感動を学び合う場として全国大会を創りたいという思いがあったからです。全国の高校生たちが同じ高校生の演劇を語り合い、共感を深め合うことで、大会の質を高めることにつながればと思っています。
ですから、大会へおいでになる皆さんも、席にふんぞりかえっていかにも客だぞというふうに芝居をご覧になるのではなく、生徒講評委員たちとともにたくさんの感動を分かち合い、ともに学びあえる大会を創造してゆくお仲間として参加していただけるならば、これほど喜ばしいことはありません。
どうか、この夏、福井において熱く演劇を語り合える大会が実現できますよう、皆さんのお力添えをよろしくお願い申し上げます。
(福井県立丸岡高等学校)