復刊99号 福井(鯖江)大会特集号  WEB版


審査員講評
リアルな学園ものに収穫―福井大会を振り返る   扇田 昭彦


 第四十九回全国高等学校演劇大会が開かれた福井県鯖江市は、古くから門前町、城下町、宿場町として栄えた町で、人口は約六万七千人。寺と瓦屋根の家が多く、しっとりした雰囲気が漂う。近松門左衛門が生まれた町なので、演劇との接点もある。
 会場の鯖江市文化センターは千二十人収容。高校演劇の会場としては大きいが、だだっ広い感じはしない。
 ここで八月十日から十二日までの三日間、地方大会、ブロック大会を通過した十一校が舞台成果を競った。私自身は昨年の神奈川大会に続いて審査員を務めた。
 上演作品の中では、やはり学園ものが圧倒的に多かった。中でもリアルな感触がある生徒創作に収穫があった。以下、上演順に私の感想を書いてみよう。
 第一日の先陣は北海道伊達緑丘高校の『りんごの木』(影山吉則作)。後藤竜二作の同名の絵本を踏まえた作品で、この学校得意の集団演技を駆使して、歌をちりばめた音楽劇が躍動的なタッチで展開した。風を表す風車、うちわなど、趣向を凝らしたカラフルな小道具類が使われ、美術面、視覚面もよくできていた。厳しい自然の中で成長していくりんごの木を擬人化して描きつつ、りんご畑を破壊する現代の都市開発への怒りをからませた作品だ。
 舞台は完成度が高く、力感のある演出も見事。その造形力が評価され、優秀賞を受賞した。だが、二十人を越える出演者が全員コロス化しているような印象があり、個人の顔が見えてこないもどかしさを感じたのも事実である。
 昨年に続いての大会出場となった千葉県立薬園台高校の『Leaving School〜振り返ることなく、胸をはって〜』(阿部順作)はよくできた学園ものだった。生徒を退学させようとする気の弱い女性教師と、学校の管理体制に不満を持つ気の強い女生徒をめぐる物語で、前半はほとんど二人芝居。後半は教師たちが退学問題を話し合う指導部会議の場面となる。
 舞台を見ながら、私は三谷幸喜の劇を連想した。対立する人物二人の間に理解と心の交流が生まれる『笑の大学』と、事実認定を巡って混乱した議論が続く『12人の優しい日本人』である。作者が実際に三谷の影響を受けたかどうかは分からないが、ウェルメイドな作風に共通するものを感じる。幕切れに女性用務員を使って意外なオチをつけるのもうまい。
 演じ手たちも達者で、特に教師役の伊與典子がよかった。指導室の装置、夕日の照明にもリアルな感触があった。作者が現役の高校教師だけに、教師たちを思い切って戯画的に描いたのは勇気がいる作業だったろう。
 だが、教師への踏み込んだ描き方に比べると、退学させられる生徒たちの彫りは浅い。その弱点が補正されれば、この作品の陰影はもっと濃くなるはずだ。
 栃木県立宇都宮女子高校の『美術室より愛を込めて』は生徒創作で、作者の松永安芸が自分と同じ名前の生徒まで演じる多才ぶりを見せた。
美術室と隣接する準備室を舞台に、屈折した心をもつ二人の女生徒の姿をコミカルに、しかも苦みをもって描いた舞台だ。
 孤独で不器用で、ぶっきらぼうなしゃべり方をする美術部員(田澤梓)がおもしろい。それとは対照的に、才能豊かで華やかだが、恋人のいる母に反発し、ひそかに友達に呪いの電話をかける生徒を、松永安芸は達者な演技で見せた。途中で劇中の生徒たちの自主制作映画という設定で映像が紗幕に映写されたが、この映像はなかなか巧みだった。高校演劇でこれだけ映像を本格的に使ったのは珍しい。
 主役二人以外の生徒たちの描き方が類型的なのは弱いが、舞台は新鮮だった。若い作者への励ましを込めて優秀賞が贈られた。
 全国大会初出場の青森県立三本木高校は『贋作 マクベス』(中屋敷法仁作)を上演。全国大会ではおそらく初めての本格的なシェイクスピアものだ。現代の高校生六人がこの悲劇を舞台稽古で上演するという趣向で『マクベス』が演じられる。
 上演する側の姿勢は二手に分かれる。オーソッドクスに上演しようとするマクベス役の生徒(小山田友大)と、携帯電話やタレントの物まねを加えるなど、若者の等身大感覚で作品を自在に変形したいという生徒たちとの葛藤である。両者が終始対立したまま劇が展開する過程がスリリングだ。マクベス夫人が周囲の女性たちと交わす会話が、現代の団地住まいの専業主婦の会話とそっくりなのも笑わせる。 作者は今春、三本木高校を卒業したばかり。出演者たちの演技は決してうまくないが、シェイクスピアを仰ぎ見るのではなく、自分たちの遊戯感覚で料理したのは爽快だ。三枚の白い布を背後に並べただけの簡素な装置は、シェイクスピア時代のグローブ座の裸舞台に通じるものだろう。この舞台は優秀賞を受け、作者も創作脚本賞を手にした。
 二日目の一番手は大阪市立工芸高校の『愛すべき蛙たち』(十時直子作)。カフカの『変身』の高校生版とも言える不条理劇で、不可解な個所が多い。声を張らない静かな舞台展開は悪くないが、会場が大きいので、セリフが聞こえにくいところもあった。
 息子がなぜか蛙になってしまい、その蛙=息子を家の水槽で飼う家族の物語である。息子の心の代弁者のように息子の日記を読む正体不明の女も登場するが、謎めいた設定の解明が劇中でなされる訳ではない。その代わり、舞台転換をするスタッフをシルエットで見せたり、明かりのともるたくさんの水槽を運ぶ人々を登場させたりするなど、視覚的イメージは鮮明だ。実験的な姿勢は買うが、満たされない思いが残る舞台でもあった。
 沖縄県立首里高校は大会初出場で、出演者の一人、赤嶺陽子が書いた『クラゲクライシス』を上演した。登場人物は三人きり。装置も黒板、椅子、机が一つずつという思い切って簡素な設定だ。 
 部員が少なすぎる文芸部と、部員が一人になってしまった演劇部。マイナーな部活動を強いられる生徒たちの屈折した心情を描いた作品で、広い舞台にぽつんと置かれたミニマムの装置はマイナーな部の悲哀をよく伝えていた。
 生徒の演技にはそれぞれに個性があった。特に文芸部に過剰に入れ込むたまみ役(伊江真美)が印象的。だが、冒頭で朗読されるユーモラスな詩が観客の強い反応を呼ばないなど、全体に演出が無造作すぎた。劇中で言及される『ワサビ』という雑誌(?)についても、観客に分かる工夫がほしい。
 香川県立丸亀高校は生徒創作の『どよ雨びは晴れ』(佐藤奈苗作)を上演したが、これは脚本、演出、演技、装置のどれを取っても出色の出来栄えだった。群像劇の学園ものだが、九人の登場人物がうまく書き分けられ、生徒作品とは思えない達者な筆づかいだ。入念な演出は、作者自身が出演せず、演出と舞台監督に徹したせいかも知れない。
 高校の学園ものが従来なぜか避けてきた、生徒たちの恋愛、特に三角関係を正面から描いた点も評価したい。中学校時代は親友だった二人の女生徒が、付き合う相手を次々に変える男子生徒をめぐって対立するものの、やがて仲直りするまでの物語である。ギャグで笑いを取らず、こまやかな人間関係の描写で劇を展開する姿勢もいい。大きな黒板など、本格的な教室のセットは迫力があった。この舞台は審査員全員の支持で最優秀賞に輝いた。
 島根県立松江工業高校は顧問創作の『ぽっくりさん』(亀尾佳宏作)を上演。深夜の教室に「百物語」をしに集まった生徒たちと謎の幽霊をめぐる前半のホラー喜劇風の劇は後半、一転して深刻な話になる。照明と効果音が大きな働きをする舞台で、愛嬌のある幽霊像には意外性がある。だが、この高校生たちが実は集団自殺志願者だったという最後の逆転はどうも説得力に乏しい。演技面にもさらに工夫が必要だ。
 北陸学園北陸高校の『心の向こうに』(演劇部創作スタッフ作)も学園もので、仲間内で孤立する関西弁の生徒、家庭崩壊に直面する女生徒など、多彩な挿話が描かれる。哲央役の中林久徳の個性がおもしろい。だが、場面転換が多すぎて、劇は拡散した。場面を増やす誘惑に抗し、ワンセットで劇をまとめる訓練を積んでほしい。
 三日目。三重県立四日市西高校の『しこみ〜おいしいラーメンの作り方〜』(佐倉さくら作)は、なぜか屋台のラーメン屋の周りで高校の演劇部員たちが稽古をする話。主役の女生徒が降板したのに伴い、部員たちが脚本を途方もなく変えてしまい、トラブルが起きるという内幕ものでもある。ただし、生徒の降板の理由がはっきりしないし、同席するラーメン屋の主人と客のサラリーマンが効果的な役割を果たしていないなど、台本の書き込み不足を感じた。
 締めくくりは山梨県立身延高校の『モンタージュ〜はじまりの記憶〜』(高泉淳子・伊沢磨紀作)。一九九一年初演の既成台本で、少女時代から老年時代までの女性二人の友情物語。相当の演技力と早替わりが必要な作品だが、主演の望月くみこと依田みち代はよく健闘した。特に望月の鮮やかな変身ぶりは見事。メルヘン風の装置も効果的で、予想以上に完成度の高い舞台に感銘を受けた。この舞台は上位四校には入らなかったが、特別賞として審査員奨励賞が贈られた。
   (演劇評論家
    静岡文化芸術大学教授)