本当に新入部員は増えたのか。番外編②

 「かわいい?」 自分の父親が他人(しかも同年代)からそう呼ばれた娘はどう思うのだろう。しかもそれが演劇部一筋の鬼顧問・祐一郎なのだ。父を「祐一郎」と呼び捨てにしたのもびっくりしたが、それ以上に「かわいい」には驚愕した。かわいそうに、その応対を無言でしていた1年生は、志保美が走り去った後、今の一方的会話を誰かに聞かれていなかったか確かめるために泣きそうになりながらあたりを見回している。誰もいないことがわかるとようやくほっとした顔で稽古場に入って行った。彼女は今後一切志保美の半径1メートル以内には入らないだろう。

 

 志保美は、やはり若柴S高校の演劇部にいるべき人間ではない。近いうちに辞めることになるだろう。しかし、いつから父は1年生ごときにスキを与えるようになってしまったのか。待てよ、と思う。「スキを与える」のではなく「スキを与えている」のではないか。思い当たるフシがある。台本の「笑い」の絵文字。あれを書いているのは父本人なのだ。「小笑い」「中笑い」「大笑い」の他に実はさまざまなバリエーションがあるのだ。悲しいシーンには、悲しい顔がさりげなく添えられているのだ。父はその絵文字が入った台本をどんな顔をして部員に渡すのだろう。きっと疲れたような顔をして、どさっと投げつけるように部員たちの前に置くのだろう。部員たちはすかさず1部を手に取り、感謝の気持ちを全身に表してページをめくる。飛び込んでくるのは、文字より絵である。「笑顔」「悲しい顔」「すました顔」「元気いっぱいの顔」「しょんぼり顔」・・・ぷっと吹き出しそうになるのを必死にこらえるのだろう。ただ一人志保美が「何、これ!チョ~・・・」の「な」を言う前に腕をつねられて「イタ!」と言うのだろう。

 

 父はやはり変わろうとしているのだ。本当は台本を配った後に、「わ~、かわいい」「これ、先生書いたんですか?」「先生、絵うまいですね。」と言ってほしいのだ。でも、みんな押し黙って真面目な顔をしているから、自分も不機嫌な顔をして「明日までに覚えて来い」としか言えないのだ。確かに今のような稽古場の雰囲気ではなく、もっと和やかな稽古であれば、「笑い」の間も生きるであろう。最近の若柴S高校の劇の、台本上の「笑い」の部分は観ていてつらいものだった。「笑い」の間をとって立ち尽くす役者たち。台本に「笑い」かつ絵まで描かれているから、そのセリフを発する者はどうしても意識してしまう。そこだけ変な抑揚になるのである。そして「さあ笑ってください」と言わんばかりに、客席側に少し体を開くのである。これでは笑えない。

 

 今となっては信じられないが、かつて父が若いころは、ギャグだけの芝居だったそうだ。そう教えてくれたのは、かつて父と同僚だった国語の先生、F教諭(女性)であった。F先生も演劇が好きだったので、よく父が顧問をする演劇部の劇を観に行ったそうだ。「腹がよじれるくらい笑ったわよ。」とF先生は言った。「でもね、翌日審査の結果はどうでしたかって聞くと、だいたい『あ、時間オーバーで失格でした』って答えるの。でも笑って全然気にしてるふうじゃなかったわ。」「へえ、そうなんですか・・・」「あとね、たまに失格じゃない時があって、そんな時は審査員から『面白いけど中身がないんだよね~』って言われるんだって。これも楽しそうに話してたわ。賞よりも生徒と一緒にコントを創ることが大好きだったみたい。」

 

 父はいつから変わったのだろう。そして今父は再度変わろうとしている。「賞よりも生徒と一緒にコントを創ることが大好きだったみたい。」 コント・・・コント・・・コント、そうだコント55号だ。母はよく言っていた。「あの人はね、若いころは本当にコント55号が大好きだったのよ。『おれの笑いの原点はコント55号だ』って。」 コント55号。萩本欣一と坂上二郎のボケとつっこみコントだ。小学生の時、父に聞いたことがある。「ねえ、コント55号ってそんなに面白いの?」 父は大喜びで「それは面白いさ、最高だよ。でも中でもピカ一なのは、これこれ!」とテレビの下から大切にしまってあるDVDボックスを引っ張り出したのだ。それは「コント55号の『なんででそうなるの?』」というタイトルだった。「これはな、すでに人気のあった二人が原点に帰ろうということで、浅草の演芸場に大人だけを集めてコントのLIVEをやったんだ。これが面白くて面白くてな。当時もっと人気があったのはドリフターズだったけど、あれは子どもが笑うんだ。こっちは大人が笑えるんだ。全然違うんだ。もっともドリフターズの荒井注は好きだったけどな。『何だ、バカヤロ~』てな。」 ・・・大人はどうして昔のことはよくしゃべるんだろう・・・

 

 勉強も飽きたから(と言ってもさっきから全然進んでないけど)、あのDVD観てみようかな?あの時は大笑いする父のそばですぐに寝てしまった。父の笑いの原点がそこにあるなら、父が変われるヒントもそこにあるのではないか。千春は階下のリビングに行って、テレビの下からDVDボックスを取り出し、自分の部屋に上がって、パソコンに1枚目のDVDをセットした。

 

30分後、笑って身がよじれて転げまわって涙を流す、千春の姿がそこにあった。(番外編終わり)

 

*この作品はフィクションであり、 実在の人物・団体などとは一切関係ありません。特に祐一郎のモデルは、特定の人物ではないし、ましてや私であることなど一切ありません。

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