携帯(スマホ)を落として

携帯(スマホ)のない週末を送っている。まあ、大変かなと思ったが、2日目くらいになると、そうでもなくなってくる。本日4日目、完全にアナログ人間に戻っている。昨日新宿に芝居を観に行ったが、その行き帰りも本を読んで充実した時間を過ごした。

 

携帯を持たない1日目は、無意識にスマホを求めてポケットを探ったり、業者に電話しようとして「あ、ない」と思ったり、そもそも家に連絡しようにも公衆電話がなく、知人に連絡しようにも電話番号を知らず、電車の乗り換えの時間もわからないので、小走りになったりした。外国人の先生に、feel strange と伝えたら、彼は feel naked (裸のようだ)と返してくれた。うん、うまい。

 

でも何でこんなに落ち着いていられるのか。それは、私の携帯の居場所がわかっているからだ。今彼は、郵便局の中にいる。つまりこういうことなのだ。木曜日に中野に芝居を観に行く途中(1月2月けっこう芝居観てます)、新宿駅での乗り換えの時、携帯を落とした。(と後でわかった)芝居に定時に行くのはあきらめ、中野から新宿に戻り、落し物はないか尋ねたが、当然あの新宿駅だ。すぐに見つかるわけはない。しかも電車の中で落とした可能性がある。一応名前の携帯番号を登録し、2か所改札所を確かめ、そしてとりあえずあきらめ、中野にまた向かった。その時はかなりうろたえていた。やはり今、携帯(スマホ)を落とすということは大変なことなのだ。携帯には膨大な情報が入っている。仕事をしている人にとっては致命的なことなのだ。それを聞いた知人は「本当か、大変だな!」と言い、家人は「やだ~」と電話口でわめいた。もともとわめく(ように聞こえる)人なのだが、普段の数倍大きかった。まあこれも40分遅れて入った芝居が終わった後のことなのだが、その芝居、とても面白かったのだが、集中できなかったなあ。

 

さて、その芝居が終わった後、知人の電話を借りて、JRに電話をかける。失くしてから約2時間半後。あるわけがない。とJRのとても丁寧な対応の男性は言った。「新宿駅に届いてますよ。」 何と、もう戻らないか、少なくとも発見まで1週間はかかるであろうと覚悟していた彼が、今新宿駅にいる。「今すぐ取りに伺います。」 男性は申し訳なさそうに言う。「あの、今日はもう閉まってしまうんです。」 「明日取りに行きます。」 男性はさらに申し訳なさそうに言う。「あの、明日は東京駅に送ってしまうんです。」 「じゃあ、東京駅に行きます。」 さらにさらに申し訳なさそうに男性は言う。「郵送で送るので、明後日土曜日は祝日なので配送されません。日曜日も配送されません。到着するのは月曜日です。」 「はあ、はあ、はあ・・・わかりました。」 あまりにも多い忘れ物に個別対応しきれないのだろう。わかる。しかもとても丁寧だったので、感謝の言葉を告げて、携帯なし生活に入った。明日満を持して、彼を東京駅に迎えに行く。

 

そんなわけで、この間電話をかけていただいた方、すみません。「電源が入っていないか、電波の届かないところにある」と言う音声の理由はそういうわけだったのです。また折返し連絡します。

 

実は、この週末もけっこう大変なことがあって、今日は1日それにかかりっきりで、わりとさんざんなことが続いているのだが、見方を変えれば、いいこともあった。

 

一つ、久々にアナログ生活を味わえたこと。二つ、彼の重要性がさらにわかって、ちゃんと設定をしっかりやろうと思ったこと。三つ、中野の劇場がわからなくて、道を歩いていた青年に聞いたら、「あ、ぼくもそっちの方に行くんで一緒に行きましょう。」ととても優しく案内してくれたこと。四つ、受付で4300円のチケット代を払おうとしたら、財布の中に4250円しかなく、コンビニに行こうとした寸前に、バッグの中に1000円入っていたことを思い出したこと。五つ、JRの男性の対応。そして六つ、落としたすぐ後にそれを届けてくれた人がいたこと。日本の良さを再認識。

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