週末です。そして大会5日前です。
前回は琵琶湖について学んだ滋賀便り。今回は5回目です。週末ですから、ちょっと長めのものでいきましょう。
近江(滋賀)にも、多くの伝説や民間説話が伝承されていますが、この数年で一気にそれらが途絶えつつあります。
古い「話し言葉」が急速に消え、TV言語に画一化される流れは誰の目にも明らかです。
この変化は、いわゆる都市化の流れと軌を一にしますが、演劇を考える時、「話し言葉」と「書き言葉」の特性や異同については演劇人なら誰もが考えることです。
強引につなげますが、前回に示した「阿曽津千軒伝説」や「余呉の天女伝説」で有名な湖北から、大津(瀬田川=淀川につながる琵琶湖から流れ出る唯一の川)へと人々が移動する様は、日本列島全体でも同じです。
それは、周縁から中央へ、山間部から海岸沿いの都市へと人々が流れる様を連想させます。
この滋賀(近江)の地も県内の傾向で言えば、ちょうど水の流れのように多くの人が瀬田川に向けて徐々に流れ続けています。そして、大阪・京都の都市周辺からあふれ出した水のように、若者が比較的増加傾向にあります(いわゆる少子高齢化率の低い、珍しい県です。)
最近のメディアで、ドラマで、復興と誇張傾向が強い『方言』についても、この水の流れと絡めながら考えることも面白い視点だと思います。
今、私は小学校で「地域コーディネーター」という立場にありますが、この役割が必要とされる背景にも、同じ要素があります。長く受け継がれ、まるで空気のようにその学校を「しぜんに」支えていたものがドンドン崩壊の兆しを示しているからです。
先に書いた1200年前も、数十年前も、農業という日本人の生活のベース部分を見れば、「人々の思い」=「話し言葉」として狭い範囲の中で伝承され物語られてきました。たとえばその地で、壊滅的な被害をもたらした「水」の歴史は語られ、ある種の緊張感とともにその地の「川」とのつきあいの中で育まれてきたはずです。
それが、核家族として新興地に引っ越して、その地とのつながりを受け継いでいない人々がある種の不安をかかえながら「漂流」しているのが、現在の日本の姿でしょう。
先の『愛知川』をめぐる伝説に、以下のようなお話があります。
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昔むかし、6月の終わり頃、梅雨で雨が降り続いて、愛知川には今にもあふれそうなほどの大水が流れていた時のことです。
毎年この時期になると、愛知川に近いある村の大きな宿屋に、お姫様のような女の人が泊まりに来るのでした。お姫様が泊まるのはいつも一番奥の座敷と決まっていて、そこでタライを借りて行水をしました。その年も、お姫様は宿に着くと、
「いつものようにタライを貸してください。そして、私が行水をしている間、 絶対に覗かないでくださいね。」
と言って、部屋に入りました。
ところが、毎年同じ頃にやってきて、座敷で行水をするお姫様のことを怪しく思っていた宿の主人は、部屋の奥を「そおーっ」と開けて、細い隙間から中を覗いてみました。すると、座敷の中に女の人の姿はなく、タライの中で大きな蛇がとぐろを巻いて、鱗を洗っていたのです。驚いた主人は急いでふすまを閉めました。
しかし、お姫様は、覗かれたことを知っていました。そして、あっという間に大きな龍に姿を変え、宿屋を出て、愛知川の激しい流れの中に飛び込んだのです。龍が飛び込んだ後、愛知川には大嵐が起こったということです。
その様子を見た人々は、あのお姫様は愛知川の龍神だったのだーっと思いました。ずっと昔から、「6月末の大水の頃に、愛知川の龍神が琵琶湖から永源寺の大滝に向かって上って行く」と言い伝えられていたからです。
大滝は、萱尾という村にあった滝です。それは美しい立派な滝だったと聞きますが、今は永源寺ダムの底になってしまいました。大滝の近くにある神社では、400年
以上も長い間、7月1日に愛知川を上ってくる龍神を迎えて「滝祭り」というお祭りをしています。大滝神社より上流の御池岳にある池(御池さん)に、お櫃で赤飯を持って行き、池の中に投げ入れると蝶が舞い上がり、物を入れると龍が怒って天に昇り雨を降らすのだということです。このお祭りに、小田苅の副区長さんと組長さん数名が今でも参加しています。
なぜ龍を迎えてお祭りをしたと思いますか?
それは、昔の人たちが、愛知川の神様は龍の姿をしていると想像し、信じていたからなのです。
愛知川は、よく氾濫する川でしたが、その豊かな水を使って田んぼを作れば、たくさんのお米を穫ることができます。昔の人たちは川から水を引くために大変な苦労を
し、いろいろな工夫をして、村々の田んぼに水が行きわたるようにしました。みなさんの町の中を流れている川の多くが、1000年以上も前から、人々が長い年月をか
けて掘り進めた人工的な川です。
その工夫のおかげで田んぼにたくさんのお米が実り、多くの人が生活できるようになりました。ですから、愛知川はみんなにとってなくてはならない川なのです。
そんな大切な川ですから、愛知川は神様だ思われていたのです。そして神様は龍の姿をしていると思っていましたので、龍がお祭りの主人公です。龍神のためにお祭りをし、その年もまた愛知川の水のおかげで「たくさんのお米が穫れますよ~うに」と、お祈りをしたのです。
ところで、不思議なことに、龍のお姫様の本当の姿を覗いてしまった主人の宿屋は、その後急に繁盛しなくなり、2年もしないうちにお客が寄りつかなくなり、つぶれてしまったということです。
おしまい 再話 黄地百合子
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ことばを「話し言葉」と「書き言葉」に分けると、当然「話し言葉」の歴史が遙かに古く、遙かに多くの民衆に浸透している「ことば」だということに異論はありません。
かつて、『滋賀の高校演劇』という年度総括文集の巻頭言に以下のような文章を寄せたことがあります。
「ことば」を「せりふ」として「はなす」ということ
「台詞・科白(せりふ)」の語源については説が定まっていない。「台詞」については台本の詞という意味で、「科白」については、細かく分けられた筋道を示した(科)を白(い)うこととして理解できるが、なぜ「せ・り・ふ」なのかが分からない。多分に憶測めくが、「せり」は「競り・迫り」であり、「ふ」は「腑」ではな
いかと私は考えている。「腑」は「内臓」であり「こころ」を示す。要するに、人間の内面にある大切なもの(こころ)を身体の外に「迫り出す」行為を演劇的行為とするのではないかと思うのである。
一方で、日本語には「かたる」行為を示す漢字に「語る」と「騙る=騙す」がある。内面の思いを身体の外に「ことば」として出すことは「騙す」行為で、その罪深さを本来的に自覚していたのではないか?その意味では、「はなす」についても「話す」以外に「放す=管理し束縛していたものを自由にする」「離す=くっついていたものを分離する、遠ざける」という意味を併せ持つ。「せりふをはなす」ことは、人間が心の中に持っている様々な思いを、台本の筋書き通りに、内面で様々な葛藤を経て(競って)、その身体の外に出す行為が、ひょっとしたら他者を騙すことになるかも知れないことを了解しながら、敢えて心を縛っている状態から解放し、身体から放出し自らと分離する行為ーということである。
このように、日本語の「音韻」を重視しながらその意味を探っていくことは、純粋「和語」の原始の姿と、同音異義語を漢字によって分類している「書き言葉」との違いを考えるきっかけを与えてくれる。古代大和ことばが文字を持たない言語であったことはよく知られているが、そのことは我々の先祖が様々な意味(語ると騙るのような)を持ってしまう「ことば」に霊力を感じ、ことばを大切に扱おうとしたことを容易に想像させる。特に一旦外に出てしまった「ことば」は二度と取り返せないものであることにも敏感であっただろう。
さらに、例えば、唾液や排泄物のように人間の「からだ」から一旦外に出た「もの」が汚物として処理されることと意味を重ねる時、「ことばを離す」行為を生業とすることは「汚・穢れ」た行為であったことの意味も了解できる。「ケガレ」の語源についても、生命を与えるエネルギー源としての「気」が「涸れる」「離れる」こととする説が有力で、「離れ」て「涸れた」「ケ」は腐敗し(高温多湿の日本の風土では‥‥)、穢れ、「死」に向かっていく。
ここで、差別の問題を論じる余裕はないが、人間の、特に日本語を母語とする我々が、日本語の「せりふ」で演劇をする意味については様々な示唆を与えてくれる。多くを「騙」る愚を重ねていくのか、洗練された「語り」へと技を磨くのかの選択はいうまでもないが、日本伝統演劇の「能」に理想型を見ようとすることの意味は理解できる。しかし、あくまでもそれは江戸時代までの身分社会を前提とした枠内でのことであることもまた忘れてはならない。それぞれの身分や階層社会の中で、予め決められた価値や美意識を基準として、多くを語らない「以心伝心」の美学はもう通用しない。
案外、我々日本人はそれぞれの職場や学校内の閉鎖社会の規則や感覚の中で、ことばに無神経のまま、「迫りくる内面の腑」でもない「どこかで誰かが用意した」軽い「ことば」で騙り続けているのではないだろうか。
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女神や龍神が「けっして、私が『変身』する姿を覗き見しないように!と告げた、禁止や禁忌(タブー)は冒さないように」というルールは現在にも通ずるものがありそうです。
「自然の姿」を自らの「人知」で大きく変えてしまった現代は、「書き言葉」として『変身する姿』を見てしまったのかも知れません。
しかし、その「自然の姿」は「自然(じねん)の相」のごく一部であったのです。「書き言葉」で語り尽くせるものではないことを弁えながら、「語る(騙る)」しかないのだと思います。
と、今回は「かたって」しまいました。
おうち しん