1日前です・・・・・本日より、不定期に更新していきます。
滋賀便り⑦
明治に入るまでは食器と言えば木の椀が主流でした。
今でも吸い物には使われますが、それでも木製のものは姿を消しつつあります。
平安時代前期の9世紀、隠棲していた惟喬親王が巻物の形態から発想して、轆轤技術を産み出したことで、近江の永源寺の山奥が、以来、明治に至るまでその元締めとしての「場」であり続けて来ました。
惟喬親王の名前は、近代に至るまで、その『名』をブランドと神性によって、全国の山間部に技術者が拡がり、貴種流離の物語と共に特別の地位を保ち続けたのです。
彼らは『小椋(小倉)』姓を名乗りました❗
小倉久寛、小椋佳さんはその末裔であることは、テレビでも知るところです。
話のたねとして、滋賀のお土産に持ち帰りください。
添付の写真は、河出書房新社刊の『滋賀県の歴史』からです。
他にも検索すれば、膨大な資料がヒットします❗
⑧滋賀の食文化について書けていませんでした。
食を語るほどには食通で色んな所に出かけているわけでは有りませんので、気になるサイトの紹介にとどめたいと思います。
とはいえ、「鮒寿司」については、私も自家製のものを、退職後仕込んで時々楽しんでいます。案外上手に漬けることが出来て評判です。
材料は、ご飯と塩と鮒(ニゴロブナは稀少で簡単に入手出来ませんからヘラブナだと思います。)だけです。
他の調味料は一切使わず、適当な桶(プラスチック製と木桶では味に違いが生まれます。)と、重し石だけです。
伝統的な漬け方では、木桶に鮒の内臓を取り、簡単に乾燥させて腹部に炊き込んだ塩入飯を詰め込んだものを順に並べ、10キログラム程度(桶によって当然異なります。)の重し石を乗せて終わりです。
大変なのは、夏場の水管理です。つけ込んだ表面に悪性の菌が広がらないように(要するに腐らないように)水を入れて、毎日きれいな水に交換するのです。その手間を怠ると、それこそ耐えられないような悪臭のする「鮒寿司」になってしまうのです。
「鮒寿司」はその手間の入れ方の違いで、微妙に、家毎に味が異なるのです。そのため、自家製に慣れてしまうと「他所の鮒寿司は食べられない!」ということにもなりかねません。
最近では、どこかで誰かが開発した漬け方が一般的らしいです。それは、ビニールで全体をくるんで密閉した形で漬ける方法です。私もその方法を試みてみて、世話の要らない手軽さに填まっております。
その漬け方は、「臭くない!」のです。
臭い鮒寿司が臭くない。これでは鮒寿司ではない。そんなことになりそうですが、それなりに臭くて、特有の酸味と味わいを、月に一度くらいは楽しむのが『滋賀県人の誇り』と言えそうです。
近江牛は「香り」に特徴が有り、最高に美味です!
しかし、高価です。滅多に高級品は口に出来ませんが、県下のスーパ―『平和堂』(近隣の県に進出していますが、県内では圧倒的なシェア―を誇っています。)に常備してある「味わい大中牛」という近江牛でも、近江牛の特徴を備えています。「香り」が違うのです。
参考までに滋賀の食べ物に関連する、少し下卑た文体ですが、リンクを張っておきます。