全国大会の名称

今日も元気に投稿です。何と言っても2日目ですから。全国大会まであと19日!来るぞ、来るぞ。 さて、タイトルにも書きました今年の全国大会の正式名称ですが、「第59回全国高等学校演劇大会・第59回全国高等学校演劇指導者講習会・第37回全国高等学校総合文化祭演劇部門」と言います。な、長い・・・名称が三つもあるではないですか。しかも、第59回と第37回?回数が違うのはなぜか?それはね(と先生の口調になる)、高校演劇の全国大会は59回目だけど、これが「全国高等学校総合文化祭」(略して「総文祭」)の一部門として開催されるようになってから37回目ですよ、と言うことなんです。つまり高校演劇全国大会の歴史は、総文祭の歴史より22年も古いと。う~ん、すごい、高校演劇全国組織。 「そんなこと知ってるよ」と言う方、多いと思いますが、このブログ、「高校演劇基礎講座」の側面も兼ね備えようかと考えております。 では、その全国大会の歴史を調べてみると・・・あ、この全国のHP、とても便利ですね。一覧が出ています。「第1回 昭和30年 東京 一橋講堂」 生まれてません。う~ん(よくうなる)、歴史感じるなあ。そして、総文祭第1回(第23回全国大会)は、何と我が県、千葉県の開催なのでした。昭和52年の夏か・・・高校生だった、でも全く演劇とは関係なかった、千葉ではそんなことやっていたのか。そして、自分が全国大会に初めて参加したのは第47回福岡大会、お、この年から「詳細」がついているではないですか。ラッキーだなあ。名作「七人の部長」や「ばななな夜」と同じ大会でした。光栄です。 大会プログラムは見当たらないので、総合プログラムの表紙です。 全国大会総合プログラム(2001福岡) やっぱりこの福岡大会が一番印象深いですね。千葉から見送った貨物トラック、行き帰りの片道6時間の新幹線移動(喫煙車両に回されむせまくった)、博多駅に降りた瞬間の「暑いそ、ここ!」の叫び、優雅なタクシー移動、大きな大きな福岡サンパレス、そしてリハーサルが終わり荷物を外に出して腰を下ろして一息ついた搬入口裏手(確か海が見えたような)、と劇のことはあまり覚えていないんですよね。あ、ひとつだけ。前の劇見てたら突然あるセリフが浮かび、上演直前にセリフの変更を伝えた時の男子部員の顔(ノー練習で彼は見事にそのセリフを言い、大いに受けました。当然一番リアルだった)。 今年長崎大会に出場される皆さん、今はもう劇創りで大変な状況でしょうが、がんばればがんばるほど残るものは大きいですからね。長崎が高校時代の最高の思い出の地となることを祈っています。 話がどんどんずれていきますが、とにかく1977年の第23回千葉大会より47年に1回しか全国大会は都道府県に回ってこないのです。演劇部顧問を長くやっていたって現役のうちに1度回ってくるかどうかです。ましてや高校生のうちに地元に全国大会が来るなんてことはめったにありません。と言うことは、その時に高校生で演劇部員だったら、とってもラッキーなのです。長崎の演劇部員さんたち、そして茨城(来年開催)の1、2年生の演劇部員さんたち、絶対に全国大会に参加して、観ておきましょう。 思い出しました。千葉に全国が来た夏、自分は海に行きました。サザンオールスターズが出始めのころですね。湘南ではなく房総の海に。テープを持ってきたやつがいて、みんなでラジカセで聞きながら行きました(すごい迷惑!)。 あとバドミントンやってました(かなりヘタだったけど)。 ☆訂正・・・サザンオールスターズのデビューは1978年でした。この年にラジカセ持って房総の海に行ったのでした。1977年はラジカセ持たずに房総の海に行きました。江戸川区の都立高生でした。  
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