お祭りは続く。
関東大会富士会場、無事に終了しました。
そして茨城全国大会出場第10号決定! 山梨県立甲府南高等学校 「マナちゃんの真夜中の約束・イン・ブルー」 佐藤晴香・中村勉 作 です。
それだけ?他は?・・・関東は共通審査員制を取っていて、あと2校の全国大会出場校、2校の春季全国フェスティバル(岩手県北上市)出場校が決まるのは、2月2日(日)関東大会那須塩原会場の審査結果発表時です。全国大会出場校に富士会場の上演校が含まれるかもしれませんし、春フェスには必ず入ります。富士会場上演校にとっては何て悩ましい1週間でしょう。でも1週間ならいい方ですよ。ふつうは2週間、長い時は1ヶ月近くも待ってもらいますから。ああ、罪作りな共通審査員制。これは富士会場上演校の皆さん、那須塩原会場に来るしかありませんね。
さて、富士山のふもとでの大会は終了しましたが、寂しくはありません。まだまだお祭りが続くからです。今は休憩時間です。関東大会第3日第4日は栃木県那須塩原市黒磯文化会館で再開です。このように大会の連続性が感じられるようになったのは、共通審査員制のおかげです。ああ、なんていいやつだ、共通審査員制。今回の共通審査員は5人のうち3名。1週間のうちに富士から那須塩原まで移動です。東海道新幹線から東北新幹線へ。山も富士山から那須岳へと変わります。
「新幹線直結大会」このネーミングが一番わかりやすかったようです。そして本当に新幹線に乗って他ブロックからやって来てくれました。愛知から(3人!)、広島から、そして大分から。北海道からも。もちろん飛行機で。上演校の皆さんの保護者の方々も続々と新幹線や車で。正真正銘の「鉄ちゃん」である本校の数学の先生はもちろん在来線で。観客も常時8割から9割の入り。ただ、愛知の中部日本大会では大入り満員札止め状態を見てしまったからなあ。あと愛知の先生が言うには、「上演と上演の間のロビーが静かですね。」 そう、中部日本大会では休憩時間中も講評委員会の活動や客席案内の呼びかけで、ロビーが騒然としているのでした。やはり中部日本大会は一味も二味も違っていたと再確認。
さて、初日夜の顧問研修会の数だけど公式発表91人・・・え?え!ええ?!そんな数、関東大会で聞いたことがないぞ。しかも静岡で。(失礼) 東京だって神奈川だって千葉だって埼玉だって80はいかなかったかと。関東は「あきらめられた人たち」の宝庫と書いたが、最近増殖したのか。(広島の某ブロック長は完全に「あきらめられた人たち」の仲間入りを果たした) 今週末開催の栃木県の事務局長曰く、「やばい」 そして私は調子に乗って、茨城全国大会の顧問研修会の目標数値を大幅につり上げて宣言、そして「あきれられた人」になった。「あきれられる」のはいいけど、何とか「あきられ」ないようにしたい。
山梨の事務局長、ナカムラ氏も黙ってはいない。何しろ氏は甲府から富士山を回って富士市に来ているのだ。山梨の人間として心中穏やかなはずはない。そして顧問研修会参加者91人を聞いて、「いいですよね、新幹線の駅があるところで大会やると人が集まるんですよ。新幹線通っているところはいいですよね。誰も「あずさ」(中央線特急)に乗って甲府に来ませんよ・・・」とちょっといらだたしげに同じことを3回つぶやいた。新幹線の駅をもたない、千葉県民として同感するよ。でも最優秀取って閉会後はニコニコ。静岡で最優秀とって富士山を回って山梨に帰ると言うのは特別な思いだったに違いない。
大会終了後、何人かの「あきらめられた人たち」と食事し歓談。大いに大いに楽しんだ。やはり大会後はこれがなくては。
さて、関東大会滞在中富士山ばかり気にしていた。もうすでに心は静岡県民になり、天候が悪くなると伝えられた土日、来富士した方々が富士山を見られることをずっと願っていたのだ。その願い叶い、土曜日は薄曇りながら見えた。日曜日は午前中曇っていたけれど、夕方にはくっきりと晴れ渡り、とても美しい富士が見えた。よかった~。しかし!私は残務整理のため、翌日まで富士にいたのだが、月曜日の富士山が一番美しかったのある。ホテルの10階の部屋の窓を開けると、そこにはさえぎるものがない、大きな大きな、美しい富士山が。至福の朝を過ごしたことは言うまでもない。
富士山様、これまでたくさん登場させてしまいました。お許しいただきありがとうございます。
富士会場、お疲れ様でした。また那須塩原会場で。