シェイクスピアは心地よい。

もう上演は終了してしまったが、2月の終わりから3月の頭にかけて、シェイクスピアの「尺には尺を」と「お気に召すまま」を観に行った。ともに文学座、演出は「尺」が鵜山 仁氏、「お気に」が高瀬久男氏。同時期に(マチネ「尺」、ソワレ「お気に」のように)池袋のアウルスポットで上演された。まあシェイクスピアと演出家と座員の共演であり競演のようなものですね。両舞台とも舞台の頭上に広げてあったり、降りてきたり、舞台を覆ったりする大きな布が装置のキモとなっていて、これはこれでとても面白い。 まあそれよりも、この二つの舞台、観ていてとても気持ちよかったのだ。つまり私はシェイクスピアの劇が好きなのだ。何を隠そう(隠してないが)、私と演劇との出会いはシェイクスピアがきっかけだったのだ。大学に入り、新入部員勧誘で連れて行かれたが中華料理屋。恩に感じて「入ります」と言ったのが、「シェイクスピア劇研究会」だったのだ。 初舞台は6月。「十二夜」の船長役。ほんの数行のセリフだったけど、頭真っ白、足が地につかず、自分で何言っているのかわからないほど緊張したことを覚えている。よく高校演劇の全国大会で、卒業してしまった3年生の代役を入ったばかりの1年生がやったりするけど、しかもほとんど主役級だったりするのだけど、あの人たちの度胸といったら、想像を超えてますね。 今回の訳本は久々の小田島雄志訳。学生時代から使ってきただけにセリフが耳に心地よい。シェイクスピアのセリフと言えば、とにかく、装飾的、比喩的、修辞的で結論を言うのに数行費やす。簡単に言えば回りくどい。現代的感覚からすると「早く言えよ、オイ」の世界であり、論文から言うと「結論から先に書きましょう」の世界である。 例えばA「好きだ」B「私もよ」A「一緒になろう」がシェイクスピアになると、A「今この世界が○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○であろうとも、この頭上に輝く星が△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△である限り、俺の思いは狂おしいほどに××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××まで君を愛しているのだ」 B「今耳に聞こえてくるのが小鳥のさえずりなら○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○でしょうに夜の帳が降りたこの森の△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△ばかりは××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××と私は言うでしょう、あなたを愛していると。」 A「○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○△△△△△ △△△△△△△△△△△△△△△△××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××。さあ、挙式は明日にしよう。(この人たちはすぐに結婚式を挙げる)」となるのである。 初めてシェイクスピア劇を観た人にはこれはたまらない。結局何が言いたいの?となる。だがシェイクスピアが好きな人はストーリーはもう知っている。シェイクスピアの言葉の豊饒さを楽しむ余裕があるのだ。このあたり歌舞伎を観るのと同じですね。 シェイクスピアは喜劇が好きだ。悲劇の緊迫感もいいが、やっぱり喜劇の軽さがいい。何よりも全てがまるく収まる大団円がいい。人が死なないのもいい。All’s Well That Ends Well  まさに芝居のタイトルの通り「終わりよければすべてよし」である。ラストの場面はその芝居の登場人物たちが全て集まるシーンである。そこでそれまでの誤解や勘違い、恨み、敵対心、裏切りなどが全て解き明かされ、解決され、そこに3組の男女がいれば、必ず3組とも結婚するのである。現代でも「水戸黄門」のわかりやすい結末が大好きな人も多いように、当時の観客はそういうことを演劇に対して望んでいたのですね。暗い日常を忘れ、一時幸せになれるような作品を。 例えば「お気に召すまま」の最後はこうだ。追放された公爵がアーデンの森で実の娘と再会し、男に変装していたその娘はめでたく好きな男と結婚することになり、他の2組のカップルも結婚することになる。めでたしめでたし、大団円の宴が始まろうとする。そこへ伝令が。やってきたのは初めて登場する3兄弟の次男である。シェイクスピアは3兄弟の物語を書こうとしたが、長男と三男のことしか書けずに、すでに決まっていた次男役に「申し訳ない」と言ってセリフを作ったのだろうか。その次男が元公爵にこう伝える。「新公爵様はこのアーデンの森に攻め入りあなた様を殺そうと、軍勢を率いてこの森の入口にやって来ましたが、そこで年老いた隠者と出会い、静かに話をするうちに改心され、公爵の地位はあなたに返上、お屋敷も土地も財産も全てあなたにお返しし、自分は世を捨て隠者になるとのことです・・・」なんじゃ、これ。ここまで二時間半近くも物語が語られたきたが、最後の1分で本当に全てがうまくいくのね。きっと明日が本番と言う日に、次男役の役者に「早くオレのセリフを」とせがまれ、演出家に「追放されたまま終わったんじゃ客は納得しないよ」と嫌味を言われ、舞台監督からは「もうこれ以上時間延ばせないよ」と冷たく言われ、どうしようもなくなったシェイクスピアは「エイやっ!」て書いたのではないか。 もし高校演劇で59分間、話を広げるだけ広げておいて、最後の1分間で伝令がやってきて、全て解決してしまったらどうだろうか・・・面白いよ、それ。 ま、とにかく、こんなシェイクスピア劇の終わり方、実に心地よく、幸せになれるのでした。  
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