青森から、畑澤聖悟先生
大会16日前となりました。
青森の畑澤聖悟先生から長編エッセイ風メッセージいただきました。お楽しみください。
「1999年の夏休み」
そういえば恐怖の大王はまだ降って来ないな、などと考える暇もなくバタバタしていた1999年、夏のことである。
ああ、もう14年経ってしまったんだなあ。
ファイト!
戦う君の歌を戦わない奴らが笑うだろう。
ファイト!
冷たい水の中を震えながら上ってゆけ。
青森から東北自動車道を南下し、北上ジャンクションから山形道に入り、山形蔵王インターチェンジで降りる。4時間の行程。ハンドルを握る私は中島みゆきの「ファイト!」をずっと口ずさんでいた。舞台監督の薫は助手席でイヤホンを耳からぶら下げて寝ている。後ろの座席、その他六名は休むことなくしゃべり続けている。
演劇部総勢16名はそれぞれ「サトムラ号」「ハタサワ号」と名付けられた2台の10人乗りワゴンに分乗していた。
たどり着いたのは当時最高気温の日本記録ホルダーだった、猛暑の山形市である。
全国高校総合文化祭山形大会演劇部門発表会。
顧問人生で初めて全国大会に出させてイタダイタのである。わが青森中央高校『生徒総会』の上演は2日目の1本目、午前9時からとなっていた。出場校が例年の11校から17校に増えた皺寄せである。3日間の日程のうち、初日と2日目は日に7本上演しないと間に合わないのである。
「朝の九時なんて芝居やる時間じゃねーよ」
が本音であるが、そもそも出場枠が増えたおかげでココまで来られた我々に文句が言えるはずもない。
「人間の体は起床後、4時間しないと目覚めない」
と信じる私は、本番にベストコンディションを得るために、山形到着と同時に、以下の過酷な日程を部員と自分に課すこととなった。
5時起床。5時30分集合。5時40分発声練習。6時からヌキ稽古。7時朝食。9時から通し稽古。
高校球児じゃん。
さて7月31日、演劇部門開幕の日。山形4日目。本校上演の前日である。朝5時30分。宿舎の山形グランドホテル、ロビーに集合。もう一人の顧問である里村先生に声を掛けてからエレベーターで階下へ。
ロビーのあちこちにうずくまった部員達がガラス越しの朝靄をバックによろよろと立ち上がった。
「ぉふぁよぉございます」
声が寝ている。しかも2人足りない。1年生の典子と三彩子。ツイン同室が共倒れだ。フロントから電話する。
「(トゥルルルルル、がちゃ)・・おはよう」
「・・・・あ、ふぁい。おきてまふ・・大丈夫れふ」
ちっとも大丈夫じゃない。
部員は弱ってきている。明日の本番まで保つだろうか。
全員集合の後、徒歩で10分の山形市民会館へ。隣接する木々に覆われた小さな公園が早朝練習の会場である。
公園は静かだった。さすがに散歩の人影もない。
必要以上に暑い山形の太陽はまだ、がんばっていない。わが部員たちはふらふらしたまま噴水に向かって一列に並ぶ。私は噴水を挟んだ池の対岸に陣取って座る。
「はい、じゃあ、発声いきます」
部長の美香が、自分を励ますように口を開く。
「ア!エ!イ!ウ!エ!オ!ア!オ!」
「カ!ケ!キ!ク!ケ!コ!カ!コ!」
と、眠っていた公園の蝉が一斉に鳴き始めた。
「みーん!みーん!みーん!」
新手のライバルだと思ったのであろう。山形の蝉の声と、青森の演劇部員の発声練習が重なる。
「サ!セ!シ!ス!セ!ソ!サ!ソ!」
「みーん!みーん!みーん!」
ああ、エール交換。
明日は何とかなりそうだ。と、根拠のない自信が根拠なく湧き出してきた。
さて、この日の昼である。
愛すべき「美女」4名がJR山形駅に降り立った。
青森中央高校美術部である。「美」術部の「女」子部員だから「美女」である。全員、演劇部のスタッフも兼ねているのだ。
『生徒総会』では1間×1間が5枚、1間×半間が4枚、合計9枚の文字看板が舞台装置として使用される。は昨年の地区大会から9ステージを重ねており、看板も2代目となっている。つまり美女たちは4人して18枚の看板を仕上げたことになる。
私が生徒会顧問も兼ねている関係上、生徒会行事の看板製作もやって貰っている。
彼女らは「祝入学」「がんばれ青中央」「祝卒業」「立ち会い演説会」など、数多くの看板を手がけてきた。
看板の設計、組み立て、色彩計画、下書き、色塗り。
ノコギリや金槌、電動ドライバーを自在に使いこなす女子高生というのはなかなかかっこいい。
しかし。
本校は過去に明朗旗(県高校総体の総合優勝)を何度も獲得しており、運動部中心の学校である。当時、文化部の地位はものすごく低かった。
演劇部もそうであるが、美術部も嫌がらせをよく受けていた。廊下をランニング中の運動部員が美術室の壁をわざと蹴ったり、部室にゴミを投げ込んだり、廊下に展示してある絵をイタズラしたりしていた。
「苦労して描いた絵に落書きされたくないんです。展示しないでください」
と、泣きながら訴えたのは私が着任した年の美術部長だった。
文化部は虫けら。
ちょっと言いすぎかも知れないが、そんな雰囲気が確かに当時の校内にはあった。
そんな美術部員たちが全国大会に来た。
演劇部の為に描いたあの看板と共に。
嬉しいことにそれだけではない。堂々と自分たちの作品をひっさげて。つまり、
「全国高校総合文化祭山形大会美術部門展示会」
に、青森県代表として作品を送り出しているのである。
文句一つ言わず(「ジュースおごって」とは言った)看板を作り続け、学校の裏方となって頑張ってきた彼女らがいよいよ表舞台に立つのだ。
残念ながら、私は彼女らと共に会場に行くことが出来なかった。演劇部の練習だのリハーサルだのに追われまくっていた。宿舎は同じでも、彼女らにはやむをえず別行動を取ってもらわなければならなかった。
彼女らが山形入りする前日。私はわずかの自由時間を利用して、罪滅ぼしのように山形県美術館を訪ねた。
部長の愛美が中心になって製作したポリエステル樹脂のオブジェ「ユリイカⅠ」は、一階展示室のガラスケースに鎮座ましましていた。さすが、50キロの重量制限に引っかかりそうだった作品である。実に堂々としていた。記念写真を何枚も撮った。大いに満足であった。
さて、8月1日。演劇部『生徒総会』上演当日である。
5時起床。すべての荷物を持ってロビーに集合の後、リハーサル会場の別のホテルへ。6時からリハーサル。7時20分、演劇部、美術部そろって朝食。7時40分会場入り、そして楽屋入り。8時40分、舞台入り。
そして、9時。開演時間である。
キャストが決まったのが、3ヶ月前。
東北大会まで進んだキャスト9人のうち6人が3年生で、めでたく卒業してしまった。しかもいずれも主要メンバーである。まるっきりの新人6人を補充しての全国大会となった。
「上演8番。青森中央高校『生徒総会』」
開幕の本ベルの後、場内アナウンス。
『生徒総会』の幕が開いた。
照明担当のあゆみが、口を真一文字に結んでフェーダーを押し上げた。舞台に灯りが入る。
「で、どうしても駄目かな」
最初の台詞が劇場の空気を震わせる。私は調光室で見守った。
ベストの出来ではなかったように思う。
忘れたセリフもあった。小道具の巻きものが切れて飛んでしまうハプニングもあった。でもよくやった。
1200人。満員の観客は大いに笑ってくれた。メンバーの3分の2は、3ヶ月の演劇経験でここまで来たのだ。辛かっただろう。足が震えないはずはない。まあ、いい。上出来だ。
終演後、楽屋に行くと部長の美香が、
「楽しかった」
と笑った。それで、いいじゃないか。
満員の観客席にどうにか紛れ込み、かわいい看板たちの活躍を見届けた「美女」たちは、「面白かった」 と、口を揃えた。それで、いいじゃないか。最高にジュージツした56分間が、終わった。
それから数時間後のことである。ウチの次の次だったか。四国代表、阿波高校の上演である。私は部員達と共に、疲れ切った体を観客席の椅子に預けていた。「甘い誘惑-はじらい乙女のはらわた物語-」。高校の屋上が舞台の芝居である。幕が開くと、舞台下手に置かれたラジカセが低く歌っていた。
ファイト!
戦う君の歌を戦わない奴らが笑うだろう。
ファイト!
冷たい水の中を震えながら上ってゆけ。
不覚にも落涙してしまった。
四国から来た彼女らも思いは同じか。
終演後、「泣いてたでしょ?」とツッコミを入れてきたのは誰だったか忘れた。
「芝居始まって10秒で泣くわけねーべ」
と、応えたことだけは覚えている。
さて翌日。忘れもしない8月2日。
同じく山形市民会館である。17校の上演が終わり、成績発表が行われた。最優秀賞は東京代表白鴎高校、と発表された。
「へえー」
と、ヒトゴトのように聞いた5秒後。
「優秀賞・文化庁長官賞『生徒総会』、青森県立青森中央高等学校」
部長の美香が副部長の友美と抱き合った。副会長役の大志が「ぬおおおおおお」と叫んでガッツポーズを取った。ギター少年の達也は「マジぃ?」を連発した。書記役の朱里の顔は号泣で原形をとどめていない。私は里村先生と握手したあと、傍にいた会長役の理恵に祝福の頭突きを見舞った。その後でふと立場を考え、あわてて腕を組み、帽子の庇を下げて見え見えの余裕ポーズを作った。
その他、各自、笑ったり泣いたりしていた。
閉会式終了後、アナウンス。
「優秀校の顧問は至急、小会議室に集合してください。東京公演の打ち合わせを行います」
ま、10分ほどで終わるから、と部員をロビーに待たせたまま指定の場所に急ぐ。自然にニヤけてしまう頬を抑えつつ、無論足取りは軽い。広くない小会議室にはびっしりと会議机が並べられ、一見して「その道の人」とわかる人々が20名ほど、びっしりと座っていた。熱気が部屋を支配している。
「いきいき国立劇場の夏~第10回全国高等学校総合文化祭優秀校東京公演」
と、太ゴシックで印字されたパンフレットが渡された。打ち合わせは東京都高文連の会長さん(名代だったか?)のご挨拶ではじまった。
「全国高等学校総合文化祭の中で特に歴史が深くクラブ活動として実績のある『演劇』『日本音楽』『郷土芸能』3部門の参加校から、優秀な成績を残した4校を選抜し、高校生の文化活動を広く一般の皆さまにご紹介するという事で、本公演は始まったわけです」
知らなかった。そういうイベントがあるわけか。
続いて、公演のコーディネーターを務める東京、京華女子校の伊藤先生が立ち上がった。髭のダンディである。
「おめでとう、とは言いません。あえて、ご苦労様です、と申し上げます」
厚さが3センチほどもある書類封筒が渡された。ずっしり重い。提出しなければならない書類が10数種類ある。
「中で、今すぐ書いていただく書類が3枚あります。これとこれとこれ。さあ、書いてください」
当日の予定とか細々とした事を書き込んだ。学校紹介ビデオ撮影、東京での打ち合わせ会、そして稽古。8月29日の本番まで休みが取れそうもないことがわかった。
30分ほどの説明が終わると、国立劇場のスタッフ、中継を担当するNHKのスタッフとの打ち合わせ。その次は全国と東京の高文連スタッフとの打ち合わせだ。宿泊、移動方法、装置の輸送、予算請求。
50分が過ぎた。
小会議室からロビーに向かう階段を昇る。
足取りはもう軽くなかった。しかし幸せではないか。このメンバーでまたジュージツできるのだ。
ロビーにたどりつくと、東奥日報文化部の相木さんがカメラを抱えて途方に暮れていた。部員たちが記念写真の隊形で整列したまま、待っていた。
向かって左端に私の立つ場所が空けられてあった。