大会3日前です。
大会3日前となりました。どうする、どうする?と言ってもどうしようもないので、天気予報で長崎の天気を確認したりします。明日から、大会終了の日曜日まで、晴れ時々曇りマークがきれいに並んでいます。最高気温は32度か33度。これが普通なのかどうかわかりませんが、35度越えの「酷暑」ではない。とても安定した天気です。いい感じです。その一方で、山口県や島根県など中国地方他で、「かつて経験したことがない」レベルの雨が降った、そして今も警戒が必要とのこと。被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
さて、明日は長崎に出発です。でもまだ文書の印刷などやることはたくさんあります。だから最近ブログは短めです。写真でごまかしているようにもみえます。時間がある時にあとで更新したりしています。長崎に行っても大会最終日まで書くつもりです。よろしくお願いいたします。
と言いつつ、きょうはまだ時間があるので、また少し書くのである。実はある人から「ブログ見てますよ」と言われ、うれしくなって書くのである。何を書くかと言うと、この前、全国大会を第1回まで遡ってみた。すると、第1回から第3回までは、文字通りの「指導者講習会」だったことがわかった。内木先生も20代で、年上の先生たちにひきずり回されていたことがわかった。そしてその後、全国各地から全国大会に集まるようになり、全国代表を選ぶいわゆるブロックというものが形成されていくことになるのだが、このあたりのダイナミズム、いいですね。組織ができあがっていく様子が年を追うごとにわかりますね。私にとっては、全国は最初から8ブロック、関東は最初から1都10県ですから、全然違いますね。その頃の方々には、相当に熱い情熱がみなぎっていたのでしょう。
第12回大会、ここから北海道が加わり、本当の全国大会になるのですね。さらにこの大会は関東にとっても記念すべき大会だったはずです。第1回関東大会がこの年の2月に開催されています。だから、埼玉の与野高校は初の関東代表校となるのかな。ブロックとしてどこが一番早く形成されたかはまだ今度調べましょう。(または教えてください。) でも、〇〇ブロック△△年史とか◇◇ブロック★★年史と言うのはだいたい同じころに相次いで発刊されるから、この時期つまり昭和40年代あたりが、各ブロック誕生の頃だったのではないでしょうか。え~と、昭和40年というのは1965年のことですよ。白黒テレビでしたね。「3丁目の夕日」の時代ですね。