本当に新入部員は増えたのか。久々編④

 夏休みの稽古が始まり、5日が過ぎた。稽古場である2年C組の教室はいらだちと無気力の空気が漂い始めていた。連日35度を超える暑さの中、教室内に43人が押し込まれているのだから仕方がない。いや、それよりも思いっきり大声を出せないことがつらい。ふつう演劇部員は、腹式呼吸を会得して大声が出せるようになると、やたら大声を出したがる。日常会話でさえ、どうだと言わんばかりに腹から声を出して、一般生徒から引かれる。最高のストレス発散法は発声練習、なんて者もいる。一般生徒から気味悪がられていることは知らない。しかし、その腹式発声がここではできないのだ。発声練習は、窓を閉めて、いつもの10%くらいのボリュームで。エチュードはジェスチャーゲームばっかりである。面白いジェスチャーがあっても、思い切り笑うこともできない。部員のストレスは増し、日に日に意欲が低下していくのがよくわかる。英語科A教諭の「実践対策夏季集中特訓飛躍的向上夢実現講座」は、土日もなしで、お盆休み前まで続く。しかも午前、午後だ。昼休みだって、午後の授業の予習をさせられている、徹底管理講座なのだ。つまりお盆前まで演劇部は声を出すことさえままならないのだ。

 

 最も気になるのは、タモツであった。このところ全くやる気が感じられない。部活にも遅刻してくる。人のエチュードをつまらなさそうに見ている。休み時間には、グランドの野球部の練習をじっと見ている。「先輩、演劇ってホント楽しいっすね。オレ将来役者になろうかな。」と言っていたのが嘘のようだった。何かあったのだろうか。夏休み前の1日、部活を休みにした時、タモツガ野球部の練習に参加したことは、同じクラスの野球部の子から聞いて知っていた。やっぱり野球がやりたくなったのだろうか。だが惜しい。中学野球部でしっかりと鍛えられた体、180センチの長身、甘いマスク。1年生部員には運動部上がりの男子がたくさんいるが、その中でもひと際目立つ。一般的演劇部男子のイメージの正反対を行く。彼を主役にするしかない。主役はタモツだ。そうに決まっている。タモツをやる気にさせ、タモツという素材を活かすのは野球部モノか・・・。

 

 「部長、こんな本があるんですけど。」 副部長Tが持ってきたのは、『季刊高校演劇』という薄めの本であった。パラパラめくってみると、どうやら台本集らしい。「友達の、P校の演劇部の子から借りたんだけど、演劇部の顧問の先生たちが書いた作品が1回に4本載っているんですって。同人誌だけどM校では定期購読していて、いつもそこから台本選ぶんだって。」 なるほど、ウチの学校の演劇部には、『高校演劇セレクション』は一通りそろっていて、そこから台本を選ぶことがあるが、これを取っていれば相当選択肢は増える。ただ、『浦島太郎異聞』の一件もあり、部長Mは先生が書いた台本に強い警戒心を抱いていた。やっぱり今年は自分たちで台本を書こう、そう決めたばかりであった。でもせっかく頼りになる副部長が持ってきてくれたものだから、1晩預かって読むことにした。

 

 その中に1つ気になる作品があった。ストーリーではない。配役である。「コロス」という物騒な名のキャストがあったのだ。そのあたりを読んでみると、コロス1、コロス2、コロス3・・・・と15まで振られていて、それぞれに説明的なセリフがある。どうやら15人で殺すという意味ではないのだな。ネットの用語辞典で調べてみると、コロスとは「古代ギリシャ劇の合唱隊。劇の状況を説明するなど、進行上大きな役割を果たす。」とある。そうか、コロスか。じゃあウチはコロス43まで作れるんだ。

 

 7月も終わりに近づいてきた。相変わらず、声の出せない稽古が続いていた。今日の午後は、台本検討会議だ。部長Mは何が何でも生徒創作という方針を打ち出し、この日の午後、一人一つずつ、あらすじとかアイディアを発表することになっていた。43人もいるんだ、一つくらいはこれだ、というものが出てくるだろう。しかし、約半分の20人が過ぎたところで、部長Mはまた絶望的な気分になった。屋根の上に住んでいたコウモリがバットマンになって、しいたげられた娘を助けに来るとか、地面が逆さになって、みんな逆立ちで歩くとかそんなようなのしか出てこなかったからだ。「あわ、あわ、あわ・・・」ショックで打ちのめされると声が出なくなる部長Mに代わって、すかさず副部長Tが介護役を務める。「あんたたち真面目にやりなさいよ。ホントに秋大やる気あんの?県大会行く気あんの?」 「そんなこと言ったってさあ。」と演技は半人前だが文句は一人前の2年、ヒロカズが言う。「だったら執行部からまず原案を出してもらうのはどうでしょう。」中学校の時生徒会役員だったチヒロが言う。「そうだ、そうだ」と同調の声が聞こえる。副部長Tは部長Mの顔を見る。「あわ、あわ、あわ、わかったわ。」 少し落ち着いた部長Mは自分がもってきたストーリーを語り始めた。

 

 「野球部の話よ。」 それまでウトウトしていたタモツがびくっと顔を上げた。「それまで弱小だった野球部がエースの活躍で甲子園に行くの。うちは43人も部員がいるから、最大4チームできるわ。それにどんどん役が変わるの。一人5役くらい。野球部だったり、監督だったり、お母さんだったり、犬だったり。コロスみたいに説明役もいるわ。でも1人だけ、役が変わらないのがいるの。それは野球部のエースよ。そしてそれをやるのはタモツよ。」 一斉に全員がタモツの方を向いた。タモツの目がキラリと光った。タモツは言った。「面白そうっすね。」

 

 「無理ね!」そう言って教室の扉をガラッと開けて入って来たものがいた。生徒会長の千春であった。今度は一斉に全員が千春を振り返った。千春を見た瞬間、部長Mの顔が恐怖に引きつり、また「あわ、あわ、あわ」と口が回らない。すかさず介護に回った副部長Tが部長を守る。「何なんですか、いきなり!」「だって、無理だもの。」「何が無理なんですか。」「部長のプロットよ。」「プロット?」「劇の筋のことよ。そんなことも知らないの?」「はあ・・・」「野球部の話、もうとっくに青森の方の学校が劇にしてるわ。しかも全国最優秀よ。」「あわ、あわ、あわ、あわわわわわわわわ」今度は副部長があわあわ言い出した。「それに岐阜の方の学校も野球部ものですごい作品創ったわ。」「あわ、あわ、あわ、あわわわわわわわわ」「もう、あんたたちに野球部もので入る余地がないってこと。創作するならオリジナリティがないとね。」 ピシャッと扉を閉めて千春が出て行った。「あわ、あわ、あわ、あわわわわわわわわ」部長Mと副部長Tのあわあわが共鳴した。

 

 三日後。「全員で一人の人間を演じるって言うのはどう。そう、43人全員が一人の役なの。それで生まれた時から死ぬまでを描いていくの。」 かろうじて立ち直った部長Mは第4回検討会議で昨晩必死に考えたアイディアを発表した。「それ面白い!」 誰か言った。

 

 「無理ね!」扉をガラッと開けて入って来たのは、もちろん生徒会長・千春であった。夏休みに入ってから千春は、演劇部の活動の様子を探るため、1時間に1回は演劇部の稽古場である2年C組の前を通っていた。生徒会室は、この教室がある階の突き当たりにある。2年C組は監視するには都合のよい場所だったのだ。実は演劇部が2年C組を稽古場として使用することを、演劇部顧問であり担任のH教諭に打診したのは千春であった。台本検討会議が始まった三日前からは、ずっと教室の前に張り付き、第2回も、第3回も「無理ね!」と扉を開け、部員が持ち寄ったプロットをつぶしていくのであった。

 

 「無理ね!」「またどこかの学校でやったんですか。」もうさすがに千春の登場に慣れた部長Mはうろたえなかった。「そうよ、そんなのとっくにプロが書いているわ。それに青森の方の学校が高校演劇バージョンを創ったわ。」「青森の方の学校は何でもやるんですね。」「そうよ、青森の方の学校は何でもやるのよ。」 それまで1回も発表しなかった3年の部員が言った。「じゃあ、一人の人間の性格を43人で分ける、というのはどう?ほら、性格っていろいろあるじゃない、天使とか悪魔とか、いじめっことかいじめられっことか。全部一人の人間なの。」「それは、昔東京の学校がやったわ。」 他の部員たちも負けまいと必死になり始めた。「夜寝ていて、夢見て、いつの間にか世界を旅していて、戦場にも行ったりするのはどう?」「それは山梨の方の学校がやったわ。」「部屋に引きこもって、いろいろ幻想するのは・・・」「群馬の方の学校がやってます。」「生徒会予算の奪い合い。演劇部の予算がとても少なくて・・・」「愛媛の方ね。」「全員で巨大なロボットを・・・」「青森」「内気でしゃべれない子を仲間が助けて、勇気を出してってお姉ちゃんが言うの・・・」「今年の全国大会に大分の方から出てくる予定よ。」千春はことごとくつぶしていった。

 

演劇部の完敗であった。

 

 「何を出しても、もうすでに他の学校でやられている。じゃあ私たちはいったい何をやればいいんですか。オリジナリティってどこにあるんですか!」部長Mは、泣き叫ぶように千春に聞いた。「そうね、まずこれ全部読むことね。ここにないもの。それがオリジナリティよ。」千春は持っていた重たそうな紙袋をどさっと部長Mの前に置き、去って行った。その紙袋の中に入っていたのは、10年分の『季刊高校演劇』約50冊であった。

 

これで久々編終了です。この続きはまた1ヶ月後くらいに書く予定ですが、あてにはなりません・・・

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