例えばあなたが演劇部をもったばかりの新人教員なら④

全国大会初日の5本が終わった。あなたは全国大会で上演される演劇のすさまじさに驚愕しているだろう。これは自分たちがやっているものとは全く次元が違う。やっている生徒たちの息遣いが違う。「情熱」という言葉は時として陳腐で、恥ずかしくなるが、まさに「演劇にかける情熱」なのだ。

 

高校時代バドミントン部に入っていて、最高成績、県大会出場(1回戦負け)のあなたは、文化系の部活をちょっとバカにしているところがあった。バトミントン部だって、運動部のヒエラルキーの中では下の方なのだが、それでも文化系の、特に演劇とか文芸とかアニメとかよりは上だろう、と思っていた。今演劇、文芸、アニメを同列としたが、あなたの高校時代は、この3つの部活に属するメンバーは全く同じだったのである。

 

ところが、今日見た演劇は一体なんだ。ほとんどこれは舞台の上で運動しているようなものではないか。体が動くとか、飛び跳ねるとかそういうことではない。心だ。運動選手の試合中の集中力と同じものが舞台全体を支配していたのだ。これが、ゼンコクコウエンキョウの「修行」のなせる業なのか。

 

あなたは、広島、青森と続いた午前中の劇を2本観た後で、やはりよくしゃべるオバサン顧問が選んだおにぎりを食べながら、きさくなオジサンにこう聞くだろう。「やっぱりゼンコクコウエンキョウから認定を受けた学校って違いますね。だって全国で12校しかないんですものね。プレミアリーグみたいなものですよね。」 きさくなオジサン顧問は、やはりおにぎりを食べながら言うだろう。全国高演協が、全国大会に出る学校を選んでいるんじゃないよ。全国大会に出るまでには何度も予選みたいのがあるんだ。」

 

ここであなたは不思議に思うだろう。自分が初任として今の学校に赴任した4月から、予選というものがあっただろうか。5月に地区の発表会があったが、あれは発表会で、県大会にはつながらない、と言われていた。秋にやるのが、県大会につながるのだと。あなたは訳がわからなくなるだろう。

 

ここできさくなオジサン顧問は、高校演劇を初めて観る人に何度も説明してきただろう、高校演劇のシステムを得意になってしゃべるだろう。「あのね、秋とか早いとこは夏に地区大会があってね、それは市の単位なんだけど、その次に県大会があるんだ。高校演劇の厳しいところは、県代表がそのまま全国に行けないんだ。47代表が上演したら全国大会は何日かかるかわからないだろう。そこでさらに絞り込むのがブロック大会だ。全国には、北海道、東北、関東、中部日本、近畿、中国、四国、九州と8つのブロックがあって、関東は大きいので2会場でやるから、8ブロック9会場で、ブロック大会が行われるんだ。その代表が、この全国大会で上演する12校というわけさ。」(あなた)「え、でも・・・」きさくなオジサン顧問はますます得意になって言うだろう。「そう、一般人にとってここに高校演劇の大きな不思議があるんだ。つまり、そのブロック大会が行われるのが、11月か12月か1月。そして全国大会は翌年度の夏。」(あなた)「え、ということは・・・」きさくなオジサン顧問はさらにさらに得意になって言うだろう。「そう、高校演劇の大会は年度をまたぐんだ。もし高校3年でブロック大会に出て、全国大会に推薦されても、その子は全国大会に出場できないということだ。逆に高校に入って一番最初の大会が全国大会なんてこともよくある話さ。」(あなた)「でも、それって・・・」きさくなオジサン顧問は今度は遠くを見つめて言うだろう。「君の言いたいことはわかる。ぼくも若い頃はそう思っていたさ。でもね、これ、60年続いているんだよ。60年もやってるとさ、論理じゃかないわないほど風格が出てきてね。」(あなたは思うだろう「何言ってるかわからない」)

 

「ただね」きさくなオジサン顧問は、もう自己陶酔が終わったのかと思われたその瞬間、さらに遠くを見つめながら言うだろう。「県大会や、ブロック大会が、全国大会への通過点と思うのは間違いなんだ。大会はどんな大会でもそれで完結しているものなんだ。いわばお祭りさ。どれがいいとか、どれが悪いってことじゃなく、そこで上演しているすべての学校がお祭りの主人公なんだよ。「勝ち抜く」とか「上の大会」って言葉はあまり使ってほしくないな。「推薦された」とか「次の大会」って言ってほしいな。地区大会もそう。大会を仕上げることが大事なんだ。こんなにいつもお祭りができるぼくたちって、幸せ者だよね。」

 

あなたは、しばらく黙っているだろう。それをきさくなオジサン顧問は「感動」ととらえるだろう。あなたは「わからなかったから」黙っていたのだが。

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