9月11日がささっと過ぎていった。
9・11、ナインイレブンであり、最近は3月11日の半年後である。
あの日、2001年9月11日は、関東に台風が来た日であった。なぜ覚えているかと言うと、その日学校が休校となり授業がなくなり、秋作品の台本を仕上げる(と言っても最後まで書き散らしただけ)ことができたからだ。
前にも書いたかもしれないが、自分は台本を書くことから逃げる。夏休みになって、部員に囲まれて、「先生書いてくださいよ」と談判されても、「そうだねえ」とか「まだ夏休み始まったばかりだからねえ」とか「暑いねえ」とか言って、その場から逃げるのである。たちが悪いのは、「書く」「書かない」をはっきりさせないことだ。「書く」と言って、つらい夏休みを過ごすのもイヤだし、「書かない」と言って、部員から捨てられるのもイヤなのだ。何となく書きそうな雰囲気を漂わせつつ、でも「早く書いてね」という視線を向けないでね、的な立ち位置で夏休みを過ごすのある。
だから学校が始まる9月1日の、何ともつらかったことよ。結局合宿はもちろん、夏休みの最後まで稽古する台本がなく、筋トレとエチュードだけで過ごしてきた部員たちを前にして、「やっぱりオレ書かないからね」と言えないではないですか。しかし、頭の中には、構想はおろか、ネタも一言のセリフも、な~んもないのである。
9月の3週目が文化祭である。困ったことにけっこう演劇部の公演を観に来るのである。さすがにせめて公演10日前までに、何か書いてないとまずい。この9月に入ってからの10日間が、焦りの日々なのである。ただ、焦っても出てこないものは出てこない。だから寝る。すると朝起きるとチョロッとネタのようなもの出てくる時がある。それを無理やり引き伸ばして、テーマみたいのを無理やり押し込めるのだ。
2001年9月11日。それは文化祭まであと10日の勝負の日だった。ここで部員に台本渡さないと、大変なことになる。去年は部分部分で渡して行き、最後のシーンを作ったのが前日だった。同じ轍は踏みたくない。早く台本を投げ渡して楽になりたい。大雨の中、学校に向かう。そして休校決定。「よし書くぞ!」
その日はなぜか、予想以上に進み、何と最後のシーンまで書けてしまったのだ。いや、この爽快感。「さあ、これですでに疑心暗鬼状態の部員たちの前に、台本を片手に堂々と登場できる。」 夕方、台風が去り、夕焼けとなった空に向かって「どうだ!」と見栄を切ったのである。
その夜、家に帰って、ゆっくり「台風の1日」のニュースなどを見るつもりでいた。そこでテレビをつけると、例の映像、ビル(ワールド・トレード・センター)の上から4分の1くらいところから、煙がもくもくと吹き上げている映像が飛び込んできたのある。古舘伊知郎がとても真剣な顔をして何かをしゃべっている。でも何が起きたのかはわからない。誰も何が起きたのかわかっていなかったからだ。テレビはその映像を流し続けるしかなかったのだ。そしてそこにまた何かが飛んできて、ビルにあたって・・・
あれから15年。やはりあの1日は、忘れない。