8月中旬・・・部の夏休み。10日間ほど。ほんとはこの期間に台本を書いて、休み明けに部員たちを驚かせようと思っていた。しかし、休みに書けるはずもなく。だらだらと日々が過ぎ去る。何も浮かばず。酔いつぶれる。
8月20日過ぎ・・・いよいよ部活再開。どうしよう、何もない。行きたくない。学校の前まできて帰ろうかと思う。ちょっと稽古場の教室を覗くと、旅行とかであまり部員がそろっていない。よしよし、まだあまり燃えていないのだな。それでいい。休み前のミーティングの様子を聞く。いくら待っていても私が書きそうもないので「とんでもハムレット」の再演でいいとのこと。
「え、そんな」と心の中で私。実は休み中にその台本ちょっと読んでみたが、今ひとつ乗れないのだ。それに頭の中でキャスティングしてみたが、男が一人余ってしまう。3年でただ一人秋に参加するつもりの男子部員が「先生の話聞いていたらぼく『とんでもハムレット』やりたくなりました」と明るく言う。「いや君こそキャスティングに入っていないんだ」とまさか言えず、しばし考え込む。突然、「君たちそんなんでいいのか。再演なんて昔の芝居の焼き直しやって楽しいのか。やっぱり創作だ!」と言ってしまう。またポカンとする部員。また私の気まぐれが始まった。
8月25日頃・・・でも何も書けない。浮かばない。このころ早朝に散歩、夕方に散歩をして何か浮かぶのを待つ。悩んでいても眠れなくなることのまずない私が、眠れなくなってきた。何の題材もなく部活に行くことのつらさ。と同時に顧問の私がどうして悩まなくてはいけないのか。怒り。体育館に寄るとバドミントン部が体育館を閉め切り、煮えたぎるような暑さの中でシャトルを打っている。バドミントンはいいなあ。今はつらくても練習終わった後は壮快だもんなあ。羨望。来年は演劇部の顧問を降りることを決意する。やはり自分には能力なし。
8月28日頃・・・朝起きたら、父と娘の話で、娘が書いた演劇の台本を父が直したらもっと面白くなっちゃったなんていう筋書きが浮かぶ。「ああ、いい。もうそれでいい」 そういえば、去年ちらっと書いて途中でやめた、つかこうへいの「出発」をもとにした数ページの台本がある。それを引っぱり出す。うむ、使えそう。よし、父親は意味もなく娘から毛嫌いされていることにしよう。よくそんな話聞くじゃないか。あと「お父さん養成講座」の元になる部分も書いていた。けっこう面白い。結局去年の書きかけの台本を持って、今度は意気揚々と部活に登場。「とりあえずこの二つのシーンを稽古しよう。あとは適当にシーンをつくってつなげよう」とまたいい加減な宣言をする。とりあえず動き出せそうだ。
8月30日頃・・・夏休み部活をずっとやってきたのに、脚本がほとんどない、全体の流れさえわからない状況。さすがに部員に申し訳なく思って、浮かんだシーンをどんどん書く。走り書き。部員にも自分たちでシーンを作らせる。あとはつなげればいいのだ。だからウチの劇はテーマがない、一貫性がない、ストーリーが飛ぶと言われる。当然だ。稽古しながら、本筋の最初のシーン、母と娘の会話は娘が書いた台本の練習をしている設定にする。娘は洋物にあこがれていて登場人物もキャサリンとかレオナルドばかりにしよう。始まりは暗い日本の家庭の会話にしておいて、突然母親に「キャサリン!やめなさい」と叫ばせよう。オモシロイ。にやりとする。
9月初旬・・・ああ、2学期。一年でもっとも憂鬱な9月1日。しかし本校は文化祭モードに入っている。どの教室からもクラス演劇の稽古の声や舞台作りのトンテンカンという音が響いてくる。この学校がもっとも活気ある時期。そして本校の教員であれてよかったなあと思える時期。しかし、部活の稽古は進まない。主役の一人である父親役がダメだ。娘と母はいい。「養成講座」の父親たちもキャラクターが出ておもしろい。父親一人出遅れている。ダメ出しは彼一人に集中する。まずセリフ覚えが悪い。毎日、その場でセリフが変わる稽古なので、セリフがちゃんと言えるようになるまで時間がかかって稽古が進まない。演技が散漫である。適当におもしろおかしくまとめようとしているように見える。セリフの言い方が気に入らない。う~む。キャスト替えが頭をよぎるが、一度決めたキャストは替えたくない。しばらく忍耐が必要である。(しかしこの生徒はその後各大会を経験するにつれて、どんどん安定し、他を引っ張っていけるような存在になりました。セリフ覚えもすっかりよくなりました。最後の公演だって、前日に大きく変えたのにずっと練習してきたかのように本番ではしゃべってましたから。)
*この作品は完全にフィクションであり、 実在の人物・団体などとは一切関係ありません。一瞬特定の学校・作品を想起するかもしれませんが、「やっぱりフィクション」です。