3月12日に思うこと

激しく揺れて、ただ事ではない、と外に飛び出して、津波が港を襲い、車が飲み込まれる映像を生でテレビで観ていた11日午後。その日は何だかわけがわからなかった。そして翌日の12日土曜日から非日常が始まったと思う。一夜明けた東北の街々を映し出す映像に絶句し、時間ごとに増える犠牲者の数に震えた。テレビを横に安否のメールを打ち、学年旅行に行った一団が戻って来たことを知り、それでも月曜日に自分の試験があるので、学校に行き、問題を印刷し、前日生徒の何人かが帰れず、先生方で送っていった、という話を聞く。土日は家に籠ってテレビを見続け、「計画停電」という初めて聞く言葉が連呼され、月曜日に学校に行くと、電車が大幅に減らされて、とても生徒たちが学校に来られる状態じゃないので休校に。担任は各家庭に電話をかけまくる。翌日もその翌日も朝の会議で休校を決め、各家庭に電話をかけまくる。その後仕事をしながらラジオを聴き、職員同士で日本の行く末をまじめに話し合った。企画していた送別会は中止に、車通勤の行き帰りは、ガソリンメータとにらめっこ。やるあてもないのに、ガソリンスタンドは給油待ちの車で長蛇の列。「あっちがやっている」「こっちがやるらしい」 ネットや口コミに踊らされる。結局、学年末試験は中止、印刷した自分の試験もなしに。生徒たちが学校に来たのは、終業式の日であった。あの時ほど生徒たちの顔を見て、懐かしいと思った時はない。春季全国大会は開催された。北海道伊達市に向かう。華やかなはずの羽田空港・・・何と侘しい光だったか。それに対して札幌のいつも通りのにぎわいと明るさ。ガソリンスタンドも普通に開いている。そのギャップにうめく。春季全国は数校が辞退した。非日常の中で観る劇は、すべて震災や原発とからんでいるように見えた。この時期になると一コマ一コマがつい最近のように思い出される日々。非日常が日常に変わっていったのはいつのころからか。いや、今でも非日常の中にいるのかもしれない。

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