関東大会が始まる。(3)

今日は思いたって、春季全国高校演劇フェスティバルの自家製簡易チラシを作り、2000部印刷した。関東大会富士会場のプログラムに添えてもらうためのものである。 さて、関東大会から3本夏の全国大会への推薦校が出せる。1ブロック最優秀1校が基本の他ブロックに比べて大変恵まれている。もちろん加盟校数が多いからの措置だが、演劇の審査において、複数選べることのメリットは計り知れない。選ぶ方にとっても選ばれる方にとっても。そして次にそれを観ることができる我々観客にとっても。(他の芸術分野でもそうだろう) 複数選ばれれば次の大会に集まる上演作品のテーマ、ジャンル、スタイルもそれだけバリエーション豊かになり、観客を楽しませる。今年度2校の枠をもっていた四国ブロックの代表校を見ればよくわかる。その2校を比べるだけで面白いよ~。このことについては、徳島県のフルタ氏がブログで四国大会の審査結果について、実に興味深い考察を行っている。しかしなあ~、このフルタ氏のブログ読むと、このブログとレベルの差がありすぎて、愕然とする。演劇のみならず、音楽、映画、美術、政治、文学、日常のあらゆることを取り上げ、深い考察と豊かな語彙でその思考を明確にする。しかもあの分量。しかもほとんど毎日更新。私なら1週間に1回でも及ばない。しかも1日に1冊本を読んでいるのではないかと思わせる読書量。フェイスブックもツイッターもやっているらしい。寝ているのであろうか。でも顧問研修会にも来ている。超人的な生活をしているのではないだろうか。 そのフルタ氏が、予算不足を補うために、ほぼ手作りでもってくる、四国高演協の年度記録集がこれまたすごい。(私なんか、「すごい」とか「よい」とか「おお~!」しか言えないものなあ。) いろいろ先生方の劇評や論評が載っているのだが、内容がすごい。(また) これはぜひ手に入れて読んでほしいです。四国の方々は何かすごい(またまた)方が多い。たまには違う表現使えば「濃い」のだが、四国の中では徳島の方々が「特に濃い」のだそうだ。(他3県の方々によると) 確かにあの方も、あの方も、あの方もいる・・・ また話がそれる。これまでの全国大会で各ブロックから2校出して3日間計17校で上演した大会がある。第45回山形大会(1999/平成11年7月31日~8月2日 山形市民会館)である。都立白鷗の「學びの庭に集いきて」の大会ですね。これはブロック複数枠の希望をかなえた画期的な大会であった・・・と想像する。と言うのも私はこの大会に行っていない。まだこの頃は自分の学校が出る大会以外には行かなかったのだ。おまけに前年の関東大会東京会場で、惜しいところで全国大会初出場を逃したのだ。で、夏になってもそのショックから立ち直れなかったのだ。しかもその時は副顧問であったバトミントン部の千葉の海での合宿と重なっていた。千葉の海に向かって坂道を車で降りて行きながら、「ウチが山形に行っていたらなあ」と激しく山形への思いを募らせたものである。 そうだ、あの頃は、次の大会に進むことができなかったショックたるや、大変なものだった。ましてや「惜しかった」なんて声を聞けば、「じゃあ何で?」と審査の過程を思い浮かべながら何が足りなかったのか繰り返し自問したものである。代表が1校でも2校でも3校でも、「惜しくて」「涙を飲む」学校は必ずあるのだ。全国出場第1号、第2号などと気軽に書いているが、そういう方々が常に、どの大会でもいる、と言うことは忘れてはいけませんね。 私はあの時山形大会に行くべきだった。そうすれば全国の秀逸な舞台をたくさん観て自分を納得させられたかもしれない。いや、あの頃なら「やっぱり自分の学校が・・・」とまた悔しくなったかもしれない。でもそれも同じ思いをしている多くの方々と知り合うことで、またいろいろな舞台の見方をする方々と話をすることで、次への意欲がメラメラと湧いたことだろう。 大会で「惜しかった」ならば、「悔しかった」ならば、ぜひ次の大会を観に行くべきである。大会の痛みは大会で癒されるのだ。
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