全国大会には4つも名前があった!?

さりげなく大会11日前である。 千葉県的には明日が1学期終業式であるが、全国的にもそれでよろしいだろうか。たまに千葉県の常識、全国の非常識ということもあるので、気をつけたいものだ。 昨日出かける前にこれを書いておいてよかった。帰ってきたのは12時を過ぎていた。あやうく1日抜かすところであった。あぶない、あぶない。明日からはこれを書いてから仕事を始めよう。 きのうは東京の月島と言うところでゴクゴクと。月島と言えばもんじゃ焼きが有名で、通りの両側にまさに軒を連ねてもんじゃ焼き屋が並んでいる。こんなにあって商売成り立つのか心配になるが、水曜日とは言えけっこう混雑している・・・店もある。そうでない店もある。で、どこに入ったかと言うと、どこにも入ってません。別の魚のおいしいところでゴクゴクしました。 さて、話は本題へ。例の 第60回全国高等学校演劇大会(茨城大会) 第60回全国高等学校演劇指導者講習会 第38回全国高等学校総合文化祭演劇部門 名称多いぞ問題である。 第1回全国大会は「指導者講習会」として始まったことはこの欄で書いた。この「指導者講習会」という形式は第10回(1964年/昭和39年)北九州大会まで続いた。内木先生の記述によると、「昭和三十年代後半から四十年代はじめにかけて全国大会は全国コンクールに変わっていった」とある。第11回岡山大会からは最優秀賞と優秀賞が与えられている。コンクールの始まりである。 そして第13回(1967年/昭和42年)いわき大会で、全国大会に一つ名前が加わる。 「第13回全国高等学校演劇指導者講習会・全国高等学校演劇コンクール」 まさにこれはコンクールなのだ、と主張したのである。 第18回(1972年/昭和47年)東京・国立劇場では 「第1回全国高等学校演劇研究大会 第18回全国高等学校演劇指導者講習会・全国高等学校演劇コンクール)」 とますますややこしくなる。ここで現在名称の「全国高等学校演劇研究大会」が生まれ、「指導者講習会」の前に来るのだが、この「第1回」は何だろう。ここをもって全国大会は変わったのだ、「研究するのだ」と言う気合の表れだろうか。 さらにさらに、全国高等学校総合文化祭が開催される。だからもう一つ名前が加わる。第23回(1977年/昭和52年)千葉大会の名称はこうなる・・・ 「第1回全国高等学校総合文化祭 第6回全国高等学校演劇研究会大会 第23回全国高等学校演劇指導者講習会・全国高等学校演劇コンクール」 う~む、それぞれの名称に、1回だの6回だの23回だのが混在して紛らわしい。この時点で全国大会は4つの名称を持つことになる。 「ある時は総合文化祭、ある時は研究大会、またある時は指導者講習会兼コンクール、果たしてその男の正体は・・・」などど古いフレーズがついつい出てしまう。 (思いがけずここまで時間がかかったので続く)
タイトルとURLをコピーしました