芸術鑑賞教室でミュージカルを観た。
秋だ。芸術の秋だ。だからこの時期、多くの学校では芸術鑑賞教室(芸術観賞会)なるものをもつ。これもずいぶん長い歴史を持っている。昔はプロの上演団体が学校の講堂や体育館に来る場合が多かったが、最近は近場の会館やホールに行って観る、聞く場合が多い。また上演団体とは、オーケストラやバンドなどの音楽団体、落語などの古典芸能の一団、そして演劇の劇団などである。私がこれまで所属してきた学校では、この音楽、古典芸能、演劇のサイクルで3年回すというパターンが多かった。今いる学校もそうで、昨年は音楽、今年は演劇であった。ちょっと違うのは、近くの会館ではなく、東京・新宿に行ってミュージカルを観る、とうことであった。学校が市から新宿までは電車で1時間もかからないような場所だが、新宿駅のすぐそば、というわけではなく、地下鉄の駅と別の地下鉄の駅の間にある、ふだん東京に通っている人でもあまり来ないんではないかと思われるような場所である。そこに朝9時に集合。普段自転車か電車・バス通学の高校生にとっては、東京の朝のラッシュの中、新宿にたどり着くことは、学校で出すどんなタスク(課題)よりも、厳しいことのように思われた。まあ、でもちゃんと来ましたけどね。で、今回のミュージカルは音楽座の「メトロに乗って」と言う浅田次郎の原作をもとにしたものであった。音楽座は若いころ「ヴェローナ物語」と言うのを青山の草月ホールで観て、その面白さにとても感動したものだが、その頃の音楽座とは組織そのものが変わっている。またミュージカルは苦手と言う人は私の世代の男に多いが、私もどちらかと言えばそうで、でも高校演劇でミュージカルやられると、実は素直に感動していたりして、でもミュージカルどうでしたか?と聞かれると、やはり素直になれない自分もいるわけです。つまりミュージカルに対して、どう距離をとったらいいのか、わからないわけですね。高校演劇ミュージカルのようにそこに身を委ねてしまえばいいのだけど・・・
観終わった後は、生徒や先生方と、あれこれ批評と言うか、あらさがしというか、つっこみを入れる。これが楽しい。何だかんだ言っても、秋の週末の暖かな金曜日に東京に行って、ミュージカル観て、感動して(やっぱり感動してんじゃない)、でもつっこみ入れながら帰ってくる、と言うのはなかなかいいものなのでした。
ところで、この芸術鑑賞教室、学校行事からはずすところが多くなってきて、特に劇団にとっては大変な問題らしい。もう5年前になるが、ある劇団に頼まれて、芸術鑑賞教室について書いたものがある。一部抜粋で掲載します。もう古くなっている部分もありますが。
芸術鑑賞教室あれこれ
芸術鑑賞教室の危機が叫ばれて久しい。もちろん、危機を訴えているのは劇団や楽団である。学校の職員会議で危機を叫ぶ先生はほとんどいない。二年前、国に芸術鑑賞教室への補助金をもっと出させるための会合(国の一部署が主催しているのだが)に高校代表で出席したが、そこで聞いた劇団や音楽関係者の話は切実なものであった。第一波は学校の行事精選。確かに週休二日となり、授業確保が叫ばれる中(これを叫ぶ先生はとても多い)、真っ先にやり玉に挙げられたのは、合唱祭や校外学習(遠足)、そして芸術鑑賞教室などである。合唱祭は一番最初に消えていった。第二派は生徒数減少による学校の予算不足。
しかし、私が経験してきた学校や周囲の学校で(千葉県)、芸術鑑賞教室がなくなったという話は聞かない。音楽、演劇、古典芸能と三年周期で何十年も続けている。幾多の荒波にもまれながらも、持ちこたえているのである。
プロの声楽家が一人、何百人もの生徒の前に立つ。それまで落ち着かなかった会場が、声楽家が歌い出すと一瞬にして静まり返り、10秒後に感嘆のため息がもれる。プロの俳優が第一声を発すると、マイクなしで客席後方まで届くその声の張りに驚嘆する。落語家や漫才師の軽妙な語り口に芸の奥行きを知る。そんなプロの凄さを生で知るのが芸術鑑賞教室なのだ。
今の時代、コンサートや演劇など自分で、あるいは家族でいくらでも行けるのだから、芸術鑑賞教室など必要ないなどど言う人もいる。果たしてそうだろうか。子供たちが自らコンサートに行きたいとか演劇を観たいなどと言うだろうか。放っておくとテレビをだらだら見たり、マンションの集会室で子供同士で集まってPSPやDSiをいじっているだけではないか。(うちの子供の話です) 芸術鑑賞教室には、「観なくてはいけない、聞かなくてはいけない」と言う強制力が働く。それが大事だ。友達と会話もできない、携帯もいじれない、2時間じっと座って事の成り行きを最後まで見届けなくてはならない機会は、学校生活ではそうあることではない。特に演劇が大変だ。最初の1時間じっくり観てちゃんと理解しないと、残りの1時間がさっぱり面白くない。逆に最初の1時間がまんできれば、後は最高に楽しい。でも、それって私たちが教えている勉強と同じではないですか。演劇は勉強だったのである。
演劇にとって手強いのは、実は先生たちである。その世代のためか演劇に関心をもっている先生方はけっこう多い。校内美化を叫んでいる先生が(先生はどこでも叫ぶ)いきなり演劇論をぶったりするのに驚く。そしてみんなかなりの批評家である。生徒たちが大いに笑って成功と思われた公演でも、その後にすっと私のところへ寄って来て、「今のテーマは何だったんですか。」と聞きにくる。アンケートには「中身がない」ととても劇団には見せられないような回答を書く。先生方にはテーマが必要なのである。その一方で生徒が感動して泣いているような、特に戦争ものの劇の後では、やっぱり私のところにすっと寄って来て、「ああいうテーマ主義って大っ嫌い」と言い放って職員室に帰る。アンケートには「内容がひどい」と書く。こういうことって音楽や古典芸能ではめったに起こらない。芸術鑑賞教室担当の教員が演劇の年になると、その仕事を誰かに回そうとしたり、公演が近づいてくると憂鬱そうにみえるのもうなずける。でもそれだけ先生方は演劇には関心が高いのである。
最後に学校公演について。本当に学校で開く公演のことである。昔は学校に劇団が大きなトラックで乗り付けて、体育館のステージを舞台に変えて公演することは多かったが、今はほとんどない。生徒たちが劇場や文化会館に出向く。学校にも劇団にとってもそっちのほうが都合がよい。ところが最近二年連続で演劇の「学校公演」の機会に恵まれた。まさに恵まれたのだ。よかったなあ。まず準備がわくわくする。劇団員たちやスタッフたちが体育館をみるみる劇場に変えていく。照明の大掛かりなやぐらと言うのか、鉄骨が組み立てられ、貧弱な体育館のステージ照明が半日でコンサート会場のようになる。何よりもさっきまで金づち片手にパネルを組立ていたお兄さんが、「俳優」に様変わりしているのがいい。生徒たちはこうして職業としての「俳優」に触れるのだ。
かつてある劇団のベテランTさんが、1年じゅう学校公演をやっていた頃のことを語ってくれた。「学校公演ってのは楽しくてね。生徒が変わるんだよ。いかにも見た目が悪そーなやつらが最前列に足組んで陣取っててさ。最初は大丈夫かな~と思って演じてるんだけど、ところが劇見て一番笑ったり泣いたりしてんのがそいつらなんだよ。で、劇終わると片づけを一緒に手伝ってくれるんだよ・・・」 そんな映画のような、いや「劇」のようなTさんのその話が私は大好きである。